谷川俊太郎氏揮毫

★ミッドナイト・プレスからのお知らせ

*松本亮氏の『金子光晴にあいたい』を刊行しました。詳細は下記をごらんください。

*中村剛彦さんによる『聖シメオンの木兎──シリア・レバノン紀行』書評「ほんとうの旅、詩の旅」を掲載しました。

岡田幸文の「聴無庵日乗」

*これまでの「聴無庵日乗」はこちらで読むことができます。

聴無庵日乗53(2019.2.5)

白玉椿

 あっというまに二月になってしまった。『図書』2月号をぱらぱらと繰っていると、「漱石の公案」と題された小川隆氏の文章が目にとまった。『門』にも書かれた、漱石の鎌倉・円覚寺での参禅体験から筆が起こされていたのだ。

 「『まあ何から入っても同じであるが』と老師は宗助に向っていった。『父母未生以前本来の面目はなんだか、それを一つ考えて見たら善かろう』」

 「父母未生以前本来の面目」。これは、これまで何度となく考えてきた公案だが、なかなか解くことができなかった。ところが今回、小川氏の文章を読んで、一気に霧が晴れた。小川氏曰く、「日本ではよく、己れはおろか、父母さえもが未だ生まれていない時、という語釈が見られるが、結論から言えば、これは父母からまだ自分が生まれていない時、の意である」と。「詳しい考証は省くが」とはいえ、円覚寺開山の無学祖元の語録『仏光録』を引きながらの小川氏の考証はたいへん有益で、霧が晴れていくようだった。だが、それだけではなかった。「父母未生以前本来の面目」が、「まだオギャーと飛び出さぬ前はどうか」の意であると了解したとき、長らくアタマを悩ませていた公案が解けたのである。もとより、「もっと、ぎろりとした所を持って来なければ駄目だ。その位な事は少し学問をしたものなら誰でもいえる」と老師から言われてしまう程度のものかもしれぬ。が、自分なりに解けて、ちょっと気分がいい。

 

 「あるジャンルの音楽が、どうしていつしか終わってしまうのか、いまだによくわからない」。村上龍と同じように、僕もそう考えるときがある。例えば、シャンソンのレコード(CD)をかけるとき、とくにそう思う。むずかしいテーマだ。昔ほどではなくなったとはいえ、いまも毎日いろいろな音楽を聴いている。音楽が流れていないとだめなのだ。そんな日々のなか、いま一日一回は必ず聴いているのが、デューク・ピアソンのI’m a fool to want you.である。何回聴いても飽きない。これだけ繰り返しに堪えられる音楽(演奏)は、ほかにもあるだろう。例えば、ザ・ビートルズのファーストアルバム、あるいはベートーヴェンのピアノソナタ第30番、あるいは……と、いくらでも挙げることはできる。ただ、いついかなるときでもとなると、このデューク・ピアソンのI’m  a fool to want you.に優るものはないような気がする。これから先、新しいジャンルの音楽が生まれるのかどうか、僕にはわからない。ただ、何回聴いても飽きない、繰り返しに堪えられる音楽(演奏)があるかぎり、僕は今日もレコード(CD)をかけるだろう。

★新刊のお知らせ 松本亮『金子光晴にあいたい』

定価:本体2500円+税 装丁・大原信泉

 このたび、松本亮『金子光晴にあいたい』を刊行しました。これは、かつて「詩の雑誌midnight press」に連載されていたものを一冊にまとめたものです。松本氏は、1951年、金子光晴を訪ね、1975年、金子光晴が亡くなるまで親交を続けられた詩人であり、日本ワヤン協会を設立、主宰された方です。金子光晴と四半世紀をともにした松本亮さんのお話は、金子光晴を生き生きとよみがえらせます。「弱いものをやっぱり守らなきゃいけなという意識が常にあったんでしょうね。それで当然、戦争に反対ということになるわけなんです。あたりまえなんです。あたりまえなことをあたりまえに考えて強く書き進めていった人なんですね。」(松本亮)

 聞き手である山本かずこのあとがきにありますように、松本亮さんはこの連載を通して、金子光晴さんと再会していたのだと思います。松本さんの、金子さんに対する気持ちは、読む者にも伝わってきて、この本を読んでいると、「金子光晴にあいたい」という気持ちが強く涌いてきます。そして、松本亮さんが選んだ、金子光晴の十篇の詩を読むと、金子光晴がほんとうの詩人であったことを知らされるのです。なぜ、いま金子光晴と出会わなければならないのか。答えは、金子光晴のその詩のなかに、その生き方のなかにあることを、読む者ははっきりと知るでしょう。

 この本がひとりでも多くの人々に読まれることを願っています。

★新刊のお知らせ 里中智沙詩集『花を』

定価:本体2700円+税 装丁・大原信泉

詳細は、表紙をクリックしてください。

 このたび里中智沙さんの新詩集『花を』を刊行しました。これは、『手童(たわらは)のごと』(2008年 ミッドナイト・プレス)に続くものですが、日本の古典文学や古典芸能に造詣が深い里中さんの詩法はさらに奥行きを深め、時間的には過去と現在とを往還し、空間的には叙事と叙情とを行き交う、ことばの舞いは一段と深みを増して、読む者を堪能させます。一人でも多くの方々に、この詩集をお読みいただければうれしく思います。

 ここでは巻末に置かれた短い詩を紹介したいと思います。

 

 

  花を

 

 

えぐられた大地の

血のような赤土に

花を植える

一輪の

花は風にそよぎ やわらかに

傷口を撫でるだろう 

 

そして花は

蝶を呼ぶだろう 瑠璃いろの蝶を

蜂も呼ぶだろう 黄金(きん)色に翅ふるわせる蜂を

空から

鳥も降りてくるだろう

羽搏きの音に

ひとが足を止めるだろう

そして次の花が

 

ひとの手に抱かれて

一輪、また一輪と

血のにじむ大地をおおって やわらかに

お花畑がひろがるだろう

太陽()も もどってくるだろう

ひとはやっと

微笑むだろう

お花畑を囲んで

やっと 語りはじめるだろう

A5変型・上製・函入り 定価 本体2800円+税

*井上輝夫『聖シメオンの木菟』の書評(高樹のぶ子氏、黒川英市氏)はこちらをごらんください。

*中村剛彦編集による「特集井上輝夫」では、既刊詩集抄に加えて、映像、翻訳詩抄、拾遺詩篇・散文抄を読むことができます。