谷川俊太郎氏揮毫

★ミッドナイト・プレスからのお知らせ

*兼子利光『パゾリーニの生と〈死〉 生きられた映像の詩学』を刊行しました。この画期的なパゾリーニ論をぜひお読みください。

*岡田幸文の「聴無庵日乗」を更新しました(この下にあります)。

★新刊のお知らせ

兼子利光『パゾリーニの生と〈死〉 生きられた映像の詩学

四六判上製 定価:本体3100円+税 装丁・大原信泉

 かつて、このホームページで連載された兼子利光さんのパゾリーニ論が一冊の本になりました。

 「ピエル・パオロ・パゾリーニ(一九二二七五)の決して長いとは言えない五十三年の生涯、惨殺死という衝撃的な死で閉じた生涯を、その際立つ個性の、外からは窺い知れない心の底のほうから特徴づけるものは何か。」

 こうした印象的な一文から書き起こされる『パゾリーニの生と〈死〉』は、読み進めるにつれてぐいぐいと引き込まれます。兼子さんは、パゾリーニの全映像作品を深く読み解くことで、〈世界〉の新しい見方を提示したのだといえます。

 

  パゾリーニの死は、パゾリーニに属さない。

  パゾリーニの死は、〈社会〉に属する。

 

       イタリア現代史をふまえて 

 パゾリーニの映像/詩と〈死〉を徹底的に読み解く

         画期的パゾリーニ論

 

 これは帯文のことばですが、この本を読み終えたとき、この論考がいかに画期的なものであるか、読む者は深く知るでしょう。

 「わたしにとってパゾリーニの映画作品は長い間、カフカの『変身』の主人公がある朝、目覚めたとき感じた「気がかりな夢」のようなものだった。その「気がかりな夢」に少しでもかたちを与えようと試みたのが、このパゾリーニについての考察である」(著者「あとがき」より)

 パゾリーニの詩が多く紹介されているのも、この本の大きな魅力です。

 

 それはあの匂いのようだ

 雨上がりの野原や川岸から

 すばらしい季節のはじまりの日々に、

 

 街に吹いてくるあの匂い。

 きみはそれがなんなのかわからず、

 なつかしい想いで気も狂わんばかりだ。

   (パゾリーニ「掘削機の嘆き」より。兼子利光訳)

 

 肌に吸いつくようなベルベット加工の手ざわり、そして赤と黒で統一された装本も、一度手にとって味わっていただければ幸いです。

 

 *ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922—1975)イタリアの映画監督、詩人、小説家、思想家。1961年、『アッカトーネ』発表以後、『奇跡の丘』『アポロンの地獄』『テオレマ』『王女メディア』などを経て、「生の三部作」である『デカメロン』『カンタベリー物語』『アラビアン・ナイト』を発表、その後、「生の三部作」を放棄して、『ソドムの市』を制作。その撮影を終えた直後、1975112日、ローマ郊外で激しく暴行された上、轢殺された。詩集に『グラムシの遺骸』ほか、小説に『生命ある若者』などがある。

岡田幸文の「聴無庵日乗」

*これまでの「聴無庵日乗」はこちらで読むことができます。

聴無庵日乗58(2019.6.1)

丹頂アリウム、擬宝珠、アヤメ

 このところ、パソコンに向かう時間をよしとしなくなりつつあるようで、更新も途絶えがちとなっている。なにか理由があるというわけではない。まあ、しばらくはなるがままにまかせたいと思っている。

 今日久しぶりに書く気になったのは、一週間ほど前にDVDで見たジム・ジャームッシュの『パターソン』という映画が、いまなお忘れがたい印象を残しているからだ。『パターソン』とは、アメリカ・ニュージャージー州の都市パターソンで、バスの運転手をしているパターソンの一週間を描いた映画だ。とくになにか事件が起こるというわけではなく、パターソンの平凡な日常が淡々と描かれている……といえば、そういう言い方もできる映画かもしれないが、デヴィッド・リンチの『ブルー・ヴェルヴェット』を一瞬想起させるシーンがないわけでもない。この映画がいまなお忘れがたい印象を残しているのは、そういう平凡な日常、つまり、毎朝、妻のつくった弁当をもって会社まで歩いてい

き、市バスを運転し、仕事を終えて帰ってきたら妻と語らい、飼い犬のブルドッグを散歩させ、バーで一杯のビールを飲むという暮らしを繰り返す日常を描いているからではない。もちろん、そのような日常が見る者に与える鮮烈な印象は、この映画の大きな魅力ではあるけれども、僕が惹かれる理由はただそこにあるのではない。

 パターソンはそのような平凡な日常を繰り返しながら、一方で、毎日、朝起きたとき、あるいは仕事の昼休みに、人知れず、ノートに詩を書いているのだ。

その詩は、妻であるローラに捧げられる愛の詩であるのだが、パターソンがノートに書く詩のフレーズを読んでいるうちに、見る者は、不思議な時間の世界にいざなわれている自分に気がつくのである。つまり、この映画には三つの時間が重層して流れているようだ。ひとつは、パターソンが書いている詩の時間。もうひとつは、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの長詩「パターソン」の時間。そしてもうひとつは、この映画を統べるように流れているジム・ジャームッシュの詩の時間。この三つの時間を味わっていると、詩とはなんだろう?という問いが、いま生まれたばかりの問いであるかのようにして、立ちあがってくる。「事物を離れて観念はない」とは、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズのことばであるが、バス運転手であるパターソンのlifeを描くことを通して、ジム・ジャームッシュは詩のなんたるかを語りかけてくる。

★好評既刊 松本亮『金子光晴にあいたい』

定価:本体2500円+税 装丁・大原信泉

 このたび、松本亮『金子光晴にあいたい』を刊行しました。これは、かつて「詩の雑誌midnight press」に連載されていたものを一冊にまとめたものです。松本氏は、1951年、金子光晴を訪ね、1975年、金子光晴が亡くなるまで親交を続けられた詩人であり、日本ワヤン協会を設立、主宰された方です。金子光晴と四半世紀をともにした松本亮さんのお話は、金子光晴を生き生きとよみがえらせます。「弱いものをやっぱり守らなきゃいけなという意識が常にあったんでしょうね。それで当然、戦争に反対ということになるわけなんです。あたりまえなんです。あたりまえなことをあたりまえに考えて強く書き進めていった人なんですね。」(松本亮)

 聞き手である山本かずこのあとがきにありますように、松本亮さんはこの連載を通して、金子光晴さんと再会していたのだと思います。松本さんの、金子さんに対する気持ちは、読む者にも伝わってきて、この本を読んでいると、「金子光晴にあいたい」という気持ちが強く涌いてきます。そして、松本亮さんが選んだ、金子光晴の十篇の詩を読むと、金子光晴がほんとうの詩人であったことを知らされるのです。なぜ、いま金子光晴と出会わなければならないのか。答えは、金子光晴のその詩のなかに、その生き方のなかにあることを、読む者ははっきりと知るでしょう。

 この本がひとりでも多くの人々に読まれることを願っています。

★好評既刊 里中智沙詩集『花を』

定価:本体2700円+税 装丁・大原信泉

詳細は、表紙をクリックしてください。

 このたび里中智沙さんの新詩集『花を』を刊行しました。これは、『手童(たわらは)のごと』(2008年 ミッドナイト・プレス)に続くものですが、日本の古典文学や古典芸能に造詣が深い里中さんの詩法はさらに奥行きを深め、時間的には過去と現在とを往還し、空間的には叙事と叙情とを行き交う、ことばの舞いは一段と深みを増して、読む者を堪能させます。一人でも多くの方々に、この詩集をお読みいただければうれしく思います。

 ここでは巻末に置かれた短い詩を紹介したいと思います。

 

 

  花を

 

 

えぐられた大地の

血のような赤土に

花を植える

一輪の

花は風にそよぎ やわらかに

傷口を撫でるだろう 

 

そして花は

蝶を呼ぶだろう 瑠璃いろの蝶を

蜂も呼ぶだろう 黄金(きん)色に翅ふるわせる蜂を

空から

鳥も降りてくるだろう

羽搏きの音に

ひとが足を止めるだろう

そして次の花が

 

ひとの手に抱かれて

一輪、また一輪と

血のにじむ大地をおおって やわらかに

お花畑がひろがるだろう

太陽()も もどってくるだろう

ひとはやっと

微笑むだろう

お花畑を囲んで

やっと 語りはじめるだろう