谷川俊太郎氏揮毫

★ミッドナイト・プレスからのお知らせ

*第11回山羊塾講義録「田中冬二 「詩の力 近代の眼」」を掲載しました。こちらで読むことができます。

*久谷雉さんの「詩の教室」第八講への投稿は締め切りました。

*八木幹夫さんが講師を務める「山羊塾」第12回、「下村康臣 哲学と詩作のアマルガム 哲学する詩」は11月10日です。

岡田幸文の「聴無庵日乗」

*これまでの「聴無庵日乗」はこちらで読むことができます。

聴無庵日乗48(2018.10.9)

百合の花

 「詩は、ことばで書かれている」。これは、詩についての無用な議論を退けるために考案された、一種の警句であろう。なるほど、詩はことばで書かれている。しかし、この警句には大きな落とし穴が隠されているような気がする。例えば、「この有限の世界に居て、無限を見るだけの創造的想像力を持つようにしなくてはならぬ。この種の想像力を、自分は、詩といって居る。」という鈴木大拙のことばを、ここに並べてみよう。もとより、警句が語る「詩」と、大拙が語る「詩」とは同じものではない。だが、このとき、両者の止揚にいざなわれない者がいるだろうか。

 

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 このところ必要があって、金子光晴の詩や散文をぱらぱらと読んでいるが、光晴侮るべからずの感を深くする。例えば、こんなことばがある。「『氷島』の表現はいわゆる詩ですよ。いわゆる詩しかわからない連中があれを持上げるんだが、あんな感傷は「お耳にたこ」だ。萩原朔太郎でなくても充分書けるものだ」。こういうことばと出会ったときは、どう考えるかではなく、どう受けとめるかだろう。

 

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変わらない まさにそのことが変わってしまったことを告げてい

 る夕べ

長いゆるやかな坂を下っていく

向こうから旧知の者がやってくる

もちろん 彼は私を知らない者のようにして過ぎていく

                    (四行詩 3

A5変型・上製・函入り 定価 本体2800円+税

井上輝夫さんの『聖シメオンの木菟』の書評(高樹のぶ子氏、黒川英市氏)はこちらをごらんください。

中村剛彦編集による「特集井上輝夫」をアップしています。既刊詩集抄に加えて、映像、翻訳詩抄、拾遺詩篇・散文抄からなるもので、詩人・井上輝夫氏の全体像を浮かびあがらせる入魂の特集です。ぜひごらんください。