「ほんとうの旅、詩の旅」

──井上輝夫『聖シメオンの木菟─シリア・レバノン紀行〈新版〉』(ミッドナイト・プレス)における自己滅却と再生の詩精神

 

中村剛彦

  

 

 序、内傷の疼き──2018年と「平成」の終わりに

 

 クリスマスが終わり、2018年が終わろうとしている。そして「平成」も終わろうとしている。いま各メディアでは「平成の10大ニュース」といった形でさまざまに平成時代の社会に影響を及ぼした事件が取り上げられている。

その中で、今年の私にとって最も大きかった出来事の一つが、オウム真理教死刑囚の一斉死刑執行であった。平成7年(1995年)に起きた「地下鉄サリン事件」の実行犯と、彼らを「魂の救済」の名のもとに洗脳し、凶行へと導いた教祖麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の計13名の今年7月の死刑執行である。

 私にとってこの「地下鉄サリン事件」と23年後の今年の一斉死刑執行は、「平成」の最大事件であり、自身の20代から40代を生きた総括としての意味を持つ。なぜなら「地下鉄サリン事件」が起きた平成7年とは、私が22歳の時であって、青春期最後に猛烈な勢いで詩を読み書いていた時期であり、今日までそのことが人生の中心部にありつづけてきたからである。

おそらくひとりの人間が生きた青春期の「時代」は、その後の人生を決定する。ある世代にとっての「安保闘争」、ある世代にとっての「あさま山荘事件」、ある世代にとっての「秋葉原連続通り魔事件」、そしてある世代にとっての「敗戦」は、ひとりの人間に癒えない深い傷を与え、その後の人生で血を流しつづける。青春期という子供から大人へと急激に変貌せざるを得ないワームホール(超時空トンネル)の中で、トンネルの出口の先に現れる巨大な現実社会からの最初の一撃がそうした事件なのである。

私にとっては「地下鉄サリン事件」、さらにはその以前の平成元年(1989)の「坂本弁護士一家殺害事件」(私が住む横浜市磯子区で起きた)に遡る一連の「オウム事件」は、大人になろうとしてもがきながら、大人になれずに夢想の世界で詩を書きまくっていた私への、現実社会からの最初の一撃であった。それが私の現在まで残る内なる「傷」なのである。

 

1、「師」とは何か

 

『聖シメオンの木兎』について触れる前に、少し著者との出会いについて書かせてほしい。「地下鉄サリン事件」が起きた年に私は本書の著者井上輝夫先生に出会っている。先生のゼミに入ったのである。

いま思えば、22歳だった私は、オウムに引き寄せられていった若者たちとなんら変わらなかった。この日本に生きていくことの不安を払拭することができず、誰かにその「回答」を求めていた。もちろん「回答」を他者に求めること自体がおかしいことは後に気づくわけだが、どんな時代にも若者は明確な「回答」を求めがちである。特に現代のような過熱した受験競争に晒された子供たちは、小中高大と「回答」のみで評価されて育つ。だから「回答」が見つからないことへの恐怖感が常にある。その点でオウムに引き寄せられた若者たちが、「尊師」麻原彰晃が雄弁なレトリックで語る一見明快な人生への「回答」に引き寄せられたことは納得がいく。いまYoutubeなどにアップされている当時のテレビ番組で麻原が語る映像をみると、その語り口はなるほどメディアが飛びつくほど魅力的である(このメディアの盲目性は、いまのメディアにも通じる故に、「その後」のオウム関連の報道は注意しなければならない)[i]

私の場合は当然オウムとは無縁であるが、人生への不安を抱えもがいていたことは変わらない。思い出せば、当時の大学の学部長であった某有名教授に「この大学で何をすればいいか分からない」と相談したことがある。返ってきた答えは「じゃあ退学すれば」であった。一つの明快な「回答」であった。そうか、ではそうしようか、と考えていたとき、そんな私の精神状況を心配してか、ひとりの友人から、「君は詩を書いているなら詩人の先生がいるぞ」と勧められて井上輝夫ゼミに入った。それが最初の私にとっての「師」との出会いである。

初めて会った井上先生に、某有名教授にぶつけた質問を投げてみた。そしてさらに詩人である先生に「僕は立原道造が好きですが先生はどうですか」と聞いてみた。すると先生は「ウンウン」と頷き、研究室の膨大な書棚から、「これを読みなさい」と、上中下3分冊の膨大な書、日夏耿之介『明治大正詩史』を渡された。その場で重い本を両手に抱えながら、某有名教授の「回答」と、井上先生のそれの違いに唖然とした。

当時はその日夏耿之介の難解極まる書を読みきることはできなかったが、いま思えば井上先生は「回答などないのだよ」と、人生に戸惑う若者に伝えたかったのだろう。先生はオウム事件の本質への考察を教師として当然しており、教え子たちが安易に「回答」を求めることを見通していたはずである。私にとってあの時代に「尊師」でなく「師」と出会えたことは人生にとっては宝以上のものである。思えば大学の敷地内にある広大な池のほとりには、先生が若者たちに向けて建てた西脇順三郎『旅人かへらず』の詩碑がいまもある。

 

旅人は待てよ 
このかすかな泉に 
舌を濡らす前に 
考へよ人生の旅人 

 

あれから23年、私は「回答」のない人生を紆余曲折しながら生きてきたように思う。自らの「傷」は未だ癒えないままである。 

 

 

2、「怪物」との対峙

 

ここでようやく『聖シメオンの木兎』について書こう。1977年に初版が刊行された本書は、実に当時30代前半だった井上先生が真の「師」と出会い、そしてそれを人生の糧として大人へと脱却し生きはじめたことを明かす書である。同時に、20代に革命的60年代詩人として活躍した先生が、70年代に入り、経済大国へと突き進む「戦後日本」そのものへの不信から発せられた、極めて実存的な、かつ形而上的な叫びが響いていくる「反時代」の書でもある。そしてさらに2018年の現在に生きる日本人の精神そのものへの警鐘の書と私には読めるのである。

その鍵となるのが「怪物」との対峙である。

なぜ若者は安易に「回答」を求めるのかを、現代の教育システムの視点から少し書いたが、より突き詰めれば、若者の内心にある不安とは、いわば己のなかにむくむく膨れあがる得体の知れないもうひとりの自分がいることへの気づきからくるのではないだろうかと考える。たとえば私は男であるから、子供から大人へと成長する過程で、体毛が生え、声変わりが起き、性欲に苛まれはじめ、コントロールできないどうしようもないものが膨れ上がってくる。自分の中に得体の知れない「怪物」がいる……。そのような感覚は誰もが持っているはずである。特に芸術を求める者たちは、その「怪物」と真剣に向き合わざるを得なくなる。常に自らの内側を見つめる存在だからである。

そうした内在の「怪物」とどのように対峙するか。実はこの書はそこから始まる。

この書は「シリア・レバノン紀行」とあるように紀行文であるが、冒頭序章「序に代えて──「獅子の首」の野の花」は実際に体験した話ではなく、著者の夢体験であり[ii]、「遠く西暦前のある日」の灼熱の砂漠地帯の「枯れ谷(ワジ)」を旅する青年が、獣の屍肉を喰らいながら生きつづけている怪物的存在と対峙する架空の物語である。この物語が冒頭に置かれている理由は、著者が実際に旅したシリア・レバノンという古代から現代まで引き継がれてきた宗教的・神話的磁場を寓意化させ、この紀行文を文学作品として重層化させてみたという側面があるが、もう一つ、「詩人」としてどうしてもこの紀行文で記したかった要素があることがわかる。たとえば、その砂漠の「怪物」がこのようなことを青年にいうのである。

 

「実はあなたが救いなのか、それとも破綻なのか考えていたのだ。あなたは旅の人だ、神ではない。あなたが現れた以上、私は言葉を使わねばならない。人間の言葉は私を恐れさせる。人間の言葉を使うのは捨てたはずだったのだ。なぜ、今、私は語るのか。」

 

ここには「言葉」とは何かという問題と、己の内部の「怪物」とは何かという問題が凝縮されている。この「怪物」はかつては人間であったが、あるときから人間の言葉を捨て、「神」と通じながら獣の屍肉を喰らい生きてきた存在であることがわかる。しかし旅人である青年(著者)と出会うことで、人間の言葉を取り戻し語りはじめる。「怪物」はらさらにつづける。

 

「言葉はすでに最も無実なものを裏切ろうとして、蠍の毒のようによく廻る。いや、あなたが神であったら、私は救われないのかも知れない。おそらく、明日夜があけはなつころ、私は死ぬであろう。」

 

何を著者はここで「怪物」に述べさせているのか。「怪物」自らが取り戻した言葉が、自らを蝕むということはわかる。神々の生きる原初以前の「言葉のない世界」で生きられれば、それほど幸福なことはない。しかしそれは到底不可能である。「原初」以前の「はじめ」など言葉の規定からあり得ない。言葉を通じてしか私たちは「原初」を、さらには「神」を見いだせない。だから私たちは永遠に言葉から解放されず、言葉に支配されたこの人間界の悲惨から救われることはない。

思うに、「怪物」が語るこうした自己矛盾は、それまで「救済」を信じ(または信じられず)現代詩人として立った若き井上先生の分身である。そして、その「怪物」が自ら「私は死ぬであろう」と宣言すること、それは先生の中で「神」への救済を望みつづけた己の分身である「怪物」を己から消し去ることである。

つまり井上先生はこの『聖シメオンの木兎』冒頭で、この紀行文が「神」を失った現代の人間の内にありつづける矛盾に満ちた「怪物」との熾烈な対峙の旅の記録であることを述べているのである。

 

.「救済」のない世界

 

そうした「怪物」との対峙ののちに、実際のシリア・レバノン紀行が綴られるのであるが、私たちはこの地がいかに今の世界の闘争の発源地であるかは知り尽くしている。戦争、テロリズム、国家主義、民族主義、グローバル資本主義、第二の冷戦、そして新たな(あるいは古来からの)宗教対立……。あらゆる21世紀の現実の諸相はここを発源としていると言っても過言ではない。

 先生はその地を20世紀半ばをすぎた70年代に旅しながら、このような言葉を発している。

 

「さまざまな過去の幻が意識のスクリーンに鮮やかに映り、モスケの塔から日に数度ひびいてくるコラーンの高唱に耳かたむけながら、私は日本のことをふりかえっていた。東京の下宿で苦痛の塊のようにして過した日々の事を。計りしれない巨大な空虚を埋めようとして、血相をかえて走っている東京のアジア的群衆の戞々(かつかつ)とした靴音だけを聞いていた生活を。そのような場所で芸術の美だとか形而上学などは偽りの空中楼閣でしかなかったはずだ。そして現実への誠意は(私は誠意と思っていたのだ。)自己崩壊の道をしか準備しなかった。」

 

ここで語られる東京で味わう「苦痛の塊」という言葉、そして芸術という名の「空中楼閣」という言葉は、私の中にある虚無意識を覚醒させる。いまの私もそうだからである。つづいてこう語られる。

 

「そして救済はまさに救われる、現実において恩寵を得ることであった。それは美や哲学を創りだし個人的に救われるというのとは根本的に異なる民族の意識であった。なぜなら、人々の魂がベルトコンベアーにのせられ、都市というよりも巨大工場に等しい東京の中で、摩滅し、消耗し、やがて廃品のように破棄される光景を前に、もし救済がなければ人生は理解不可能であった。それが一個の観念ではなく、ごく平凡な日常感覚であり、私がいまだ神に愛されていない日々の煉獄であった。不幸な悪魔の美の方がまだしも理解しうるものだった」(傍点著者)

 

ここには、繰り返しになるが、90年代、ゼロ年代、そして2010年代、つまり「平成」の最後までに持ち込まれた「救済」の不可能性と、それゆえの悪魔主義への傾斜の精神がすでに胚胎されている。一連のオウム事件にみた悪魔主義、さらには今年の一斉死刑執行をした世界第3位の経済大国の悪魔主義、そうした悪魔主義の連関は加速度を増している。これは「オウム」の問題だけではない、この国のあらゆる現実の諸相において垣間見える、実に私たち自身の精神的陥穽である。そのことを著者のこの言葉に痛感せざるを得ない。

とすると必然、この書のタイトルに冠せられている「聖シメオン」が、救済なき旅路の果ての、永遠に私たちには届かない名であると読めてしまう。

 

 

4、「聖」なるもの、そして「死」と「生」、そしてふたたび「師」について

 

正直にいうならば、今年の1月に再刊されたこの書の書評を依頼され、それから私は3回読み返して、年の瀬に、未だ何を書けるのか分からないでいる。スマートにまとめることができないのである。特に著者である恩師が3年前に亡くなって以来、私は「師」が残した多くの詩文を読みつづけてきたが、老犬の介護と酒浸りになる生活のなかで、それは一筋の「生」への経脈でありつづけている。この書はそうした中で再刊され、私にはあまりに重い問題を提示している。簡単に語ろうとしても語れない。

たとえば井上先生がプロテスタントの家系の生まれであったことや、本書が「悪魔主義」を唱えたボードレールの詩想に裏打ちされていること、さらに先生が常に人間の本源に潜む残虐性に目を凝らし「戦後日本」への絶望と、さらには「戦後世界」への絶望を抱えるなか、辛うじて生きることの杖とした「詩」への渇望を記さざるを得なかったこと、そうした様々な側面を読み取り語ることは簡単である。あるいは、ひとりの詩人が、真に詩人として旅たつ決意表明として、または救済なき戦後日本に拘泥する日本現代詩への「不在証明」として放ったとさえ思える本書の現代的(現代詩的)意義をここに記すことは簡単である。しかしそれは本書に実際に触れる読者一人一人によって把持されるべきことであって、私はここでは自身にとっての本書の中核となるべきことについて触れておきたい。それはやはり「師」についてである。

 

「人の心がある場合には涯しもなく知性をもつがゆえに悪魔的になりうるのとは反対に、無限に高貴にもなりうるということを弟子に示すのが、魂の聖なる火を手渡してゆく師の姿ではあるまいか。」

 

これは井上先生がフランスの大学院に留学し、ボードレール研究の大家であった「リュフ先生」に学び、そして研究に行き詰っていたときに示してくれた「師」の極めて人間的な、そして人文学の本質を体現した姿に、「ほとんど嬉しさで泣きたいほど」の感動をもって書かれた箇所である。先に「不幸な悪魔の美の方がまだしも理解しうる」と書いた先生が、「悪魔主義」とは正反対の道へ開眼した瞬間である。

この「リュフ先生」についての部分は、本書の後半に差し掛かったところ、シリア・レバノンのドキュメントの中で唐突に懐古として挿入されている。当時第4次中東戦争の最中にあるシリア・レバノンの悲惨の現実に生きる人々との出会いと別れの中で、旅に出る前に別れた「師」の存在がいかに支えとなっているかという回顧である。

 まさに井上先生の「三十にして立ち、四十にして惑わず」の拠り所であると記したと感じるこの「リュフ先生」の章は、そのまま私にとっての「師」への思いと変わらない。

「魂の聖なる火を手渡」すこと、そのことがどれだけ「詩の聖なる火を手渡」すことと同義であるか。「師の死」は必ず己より先にやってくる。故に「手渡」されるものは死の重みを持つ。そのような実感としての「師弟」の関係は、人間関係自体が情報化されていくこのSNS時代には時代錯誤のようかもしれない。しかし誰もが自身の生の足跡を顧みたとき、幾人が自らの人生の真の支えとなっているか。その存在を確かめること、それがまた己の未来の生を確かめることにつながる。だから井上先生亡きあと、私は情報の波を避け、ときに真っ暗な部屋で蝋燭の炎を見つめ「詩」を考えることが増えた。「魂=詩の聖なる火」を見つめようとしてである。

 

終わりに── ほんとうの「旅への誘い」

 

晩年近い井上先生が松尾芭蕉の紀行文について多く語ってくれたことを思いだす。人生は「旅にはじまり、旅に終わる」と言うは易しであるが、詩人とはそういう存在であることはやはり普遍であると思う。本書はそうした意味で現代にほんとうの詩人が生きたことを証明する書である。そして「詩人」の旅とは、「歴史」を生きる旅であり、「歴史」のなかにいる「個」の存在への気づきへの旅である。

 

 「はじめから勝負は決まっているようにさえ見える。たった一個人の人生で出会う悲しみ、喜びなどといった感情は、私の足が意識することもなく踏みつぶす蟻の命ほどにも小さなものであろう。だが不思議にも歴史をつらぬいてひびいてくるのは詩人の歌である。歴史からみればとるに足らぬ個人の命は、だからこそ丁重に尊ばねばならないのだ。芸術家の天職はまさにそこにある。」

 

 いま、この日本、いや世界において、この言葉が真に意味を持つ。「詩人の歌」、それは時空を超えて「いま」に響いてくるもの、しかし静かに耳を傾ける者でしか聴けないものであり、壮大な「歴史」の砂漠へと旅をする覚悟のある者でしか聴けないものである。

 そして今年最大の「処刑」事件もまた、「歴史」の一部となるだろう。

「旅に出なさい」。

本書を閉じるとそんな声が聞こえてくる。

ヒリヒリとする胸の傷を抑え、眠る老犬の傍らで2018年が暮れてゆく。

 

 



[i]この「回答」を求める若者たちに映った麻原の魅力や、メディアを巧みに利用した麻原の狡猾さについては、江川紹子『オウム真理教 追跡2200日』(文藝春秋、2018)所収「反面教師としてのオウム──電子版刊行に寄せて」等を参照。

[ii]「あとがき」にあるように、初出は「あにまる・びぺす」3号(1970)である。初出では、本書でカットされている冒頭段落に「私は屡々同じ夢が甦えり、繰り返されるのを経験する」とある。つまり本書が「一九七三年夏フランスからの帰途」の旅の記録であることから、この「序にかえて」はフランスに旅立つ以前から著者のなかで用意された、本書の詩的精神の旅の本源を示している。