映画と詩のあいだ 

 

——パゾリーニ「(詩のような映画)」を中心に——

 

 

兼子利光

「映画と詩のあいだ」始めるにあたり  兼子利光

 

わたしが以前、書いたパゾリーニ論『パゾリーニの生と〈死〉』では、詩人・作家として戦後出発し、それなりに文学的な成功を収めていたパゾリーニが、なぜ映画の世界へと転じたのかを、うまく捉えきれていなかったように思える。そこでここでは、パゾリーニの書いた「〈詩のような映画〉」という映画についての考察を中心にして、パゾリーニの「表現の言語としての映画」に対する考えに迫っていきたいと思う。

「〈詩のような映画〉」とはいかにも、詩人パゾリーニらしいタイトルであるが、これは引用符付きであることからも分かるように、さまざまな意味をこめて、使われている。

パゾリーニが映画を撮り始めた一九六〇年代は、映画という表現形態が誕生してから半世紀ほどしか経っていない時期である。したがって、文学のような言語表現の芸術と比べて、まだとても新しい表現芸術といえた。パゾリーニはその新しい映画という表現に、文学では表現しえない魅力と可能性を感じたのだと思う。パゾリーニが追い求めた、その〈可能性〉の在り処を探究できたらと考える。

 

 

 

 *ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922—1975)イタリアの映画監督、詩人、小説家、思想家。1961年、『アッカトーネ』発表以後、『奇跡の丘』『アポロンの地獄』『テオレマ』『王女メディア』などを経て、「生の三部作」である『デカメロン』『カンタベリー物語』『アラビアン・ナイト』を発表、その後、「生の三部作」を放棄して、『ソドムの市』を制作。その撮影を終えた直後、1975112日、ローマ郊外で激しく暴行された上、轢殺された。詩集に『グラムシの遺骸』ほか、小説に『生命ある若者』などがある。