「詩人の発言」ファイル1(2009.9〜12)

〈詩人の発言17〉

封印がとけて  くぼたのぞみ

 

ことばの旅はすべて詩からはじまった──詩はことばへの原初の旅である、とりあえず、そう言ってみようか。

 

 ながいあいだ封印されていた扉をあけて、ふたたび詩の部屋に入っていった。封印されていた扉には窓がなく、なかは見えなかった。ひとたびその扉を開け、開けっ放しにしたまま進んでいくと、そこは紛れもない初めてのことばの光にみちていて、外界との境界もさだかではない。きみはどこにいるの? 地図を忘れてきたの? それとも、ここは会員制? ときどき入口をふりかえる。そして、扉がまだ開いていることを確かめる。

 

 扉を封印したのはかれこれ15年も前のことで、それからずいぶん時が経った。遺棄されてきた壁のものも、床のものも、触れられることをひたすら待って、待ちくたびれ、気持ちを濁らせながら、じっと耐えてきたようだ。詩のかたちもまた、そして、ことばの音も、色も。

 この部屋はきみだけの部屋ではなかった、もちろん。

 

 変わったものはなに?

 

 それは日本語をめぐる風力と、吹きつける砂の密度と、匂いだ。

 花と思しきものは見えず、風あるのみ。部屋のなかには、記憶を、歴史を消し去る渇いた粉雪さえ舞っている。斜めに吹きつける粉雪が、舗道を塗り込め、ばらばらな足跡を消していく。つなぎとめるものを探しながら。わたしは小さく、小さくなっていく。

 

 わたしは日本語という国に生きていて、詩はその花だと思っていた。でも、音と思いのあわいを紡ぐのは、もちろん、日本語だけではない。もちいる人が少ない言語ほど、詩の花はきらきらと咲きこぼれるのだ。

 

 この20年、きみはずいぶんアフリカという場所へ往った。朝起きるとアフリカに往って、昼もまた机上の旅はつづき、夜になってもまだ還らない。でも、寝るときだけは日本語の布団に入る。

 いつしか、きみの詩の部屋に吹く風も、南部の乾燥した赤土を巻きあげるカルーの風から、湿った埃を吹きつける西のハルマッタンへと変わり、熱い太陽の光と湿った砂が、時間のめばりを崩していく。

 

 もうすぐ、グバ・クリスマス! 

 ビアフラと東京をつなぐ「69」の絡まるいとを染めて、目も粗く、新しい詩を書きつける布は織られたばかりだ。(09.12.24

 

(編集部註 この文章が書かれたのはクリスマス前です)


*くぼた のぞみ 1950年生まれ。翻訳家・詩人。詩集に『風のなかの記憶』(1981年、自家版)、『山羊にひかれて』(1984年、書肆山田)、『愛のスクラップブック』(1992年、ミッドナイトプレス)がある。訳書多数。

 

 

 


〈詩人の発言16

声なき傷口  水島英己

 

 詩とは、―「暗記する・暗唱する(心を通じて学ぶlean by heart)」という固有語法のうちに、詩的なかたちで包み込まれているような歴史=物語だ―というデリダの定義はいろんなことを考えさせます。デリダの文章「詩とはなにか」(湯浅博雄・鵜飼哲訳)自体は難しくて、よく分かりませんが、私自身がそれを脱構築?して私自身にわかりやすくした、そういうパッセージを読むと「いろんなことを考えさせます」。「暗記する・暗唱する」という日本語、どちらかと言うと否定的で、詩とはあまり関係のないような固有語法が、急にこの定義のもとでは輝きを帯びて見えます。「心を通じて学ぶlean by heart」という英語やフランス語の表現が「暗記・暗唱」であるということの驚きは、逆に「暗記・暗唱」もまさに「心を通じて学ぶ」ものであったということの再発見をもたらします。「こころ」で経験すること、「こころ」を経験すること、その歴史=物語が詩なのです、そう今は考えています。手垢のついた「こころ」を破る「こころ」の新しい経験を思います。それは知識や教養を通じて学ぶこととは全く違います。その繰り返しの中で、「こころ」も決定的な変容を受けざるをえない学び、それが詩なのではないか。藤井貞和のパラフレーズを借りれば「心を通じて学ぶ(to lean by heart)とは(心への)書き込みであって、エクリチュール(書くこと)以外ではない」ということになります。暗記する、暗唱するということは「心への書き込み」であるということです。「詩」について考えることが、たとえば「心への書き込み」の深浅さなどをめぐって考えることであり、要するに「書くこと以外ではない」ことをめぐる考えの応酬であったりすること、これはデリダ、藤井を通して学ぶことです。

 そして、この〈心〉の固定化や独断の誘惑から限りなく距離を取るために、デリダは詩は「ハリネズミ」であれとも言います。「自動車道で危険を察知して身を丸めるがゆえに事故に身をさらすことになる」ハリネズミ。「事故なくして詩はない。傷口のように裂開していないような、だがまた傷つけることのないような詩というものはない。きみから私が心を通じて学びたいと欲望する無言の呪文、声なき傷口を詩と呼び給え。」ちょっと恰好よすぎますね。でも、声なき傷口を暗記すること、それが詩です。

 

*みずしま ひでみ 1948年生まれ。詩集に「垂直の旅」「気のないシャーマン」「今帰仁で泣く」「樂府」

 

〈詩人の発言 15〉

詩とは何か  手塚敦史

 

わたしは「詩とは何か」を、たぶん知っているのだと思う。だが、ネットを通して他者には伝えたくない。ネットだけではなく雑誌などでも、できれば伝えたくない。それを自分の中だけの秘密にしておきたい。感触として摑んだものが言葉になるまでには、相当時間がかかるものだ。それに作品として形になるまでは、性急に言葉にするのは避けるべきだろう。今まで潜在化していたものを意識に上らせるのは事後でなければ作者本人にとっても意味がないのではないか、と考える。だから決して出し惜しみしているのでも、突き放しているのでもなく、こうならざるを得ないところでこの文章を書こうとしている。

すると詩人が詩について書いた、よくある文章が意識にちらつく。それらが自分の秘密を外にあからさまにすることで、みずからの詩を最終的に犠牲にしているのかと思えば、涙ぐましくもなるが、事はそう単純ではなかった。振り返った時、批評まがいの言い尽くされた視点や、誰かが打ちだした批評概念の恣意的な反復を繰り返した体のものがほとんどだと感じられるのは、はっきり言って驚きだ。口をそろえた調子の紋切型の罠に詩人自身もはまっていく様が、愚かであり、またかわいらしくも時には映る。みずからの詩を犠牲にする覚悟もなく、批評などできる筈がないではないか。そして先に挙げたような恣意的な考えをあたかも自分が考えたように振舞うと、別の意味で惰性によって詩作することを詩人自身に許容し、作品を駄目なものにしていく。だから何かを言っているようで何も言えていないものしか詩について考えた時、多くの詩人には書けないのではないか。自分も当然そこに当てはまる。だから今は実作者でありたいので、できれば沈黙することを選びたかったのだ。

 

わたしは詩を書き始めた頃から、または詩と出合う前から、すでに「詩とは何か」をよく理解していた。詩を書き始めたのは必然であったと言える。なぜ他の詩の書き手がそう言い切れずに無駄な時を過ごすのか、不思議なくらいに思っている。みずからの潜在的な感触の方へ降りて行くべきではないか。そして、触覚として秘密の存在をそこに確認した時、言葉は生れるのだろう。言葉は社会からだけではなく、詩の現場からも常に彎曲させられていることを個々が自覚すべきだ。だからと言って、状況や批評のありかを無視してしまえばよいと言っているのではない。普遍性と急進性を求めて行く実作で、それらを確認するのは当たり前だが、テキスト面へと言葉を引き上げてくる通路は世界の表層レベルにはないということを個々が自覚すべきなのだ。むしろそれらに邪魔されるくらいなら、下手に詩について述べる必要はないとさえ思っている。

 

 

 てづか あつし 1981年8月29日、甲府市生れ。2004年、『詩日記』(ふらんす堂)。2006年、『数奇な木立ち』(思潮社)。

〈詩人の発言 14〉

ヨナの徴のもとに  伊藤博明

 

 ひとはみなヨナの徴のもとにある。そう思う。人生という逆説の腹のなかで、自ら言葉を担うことを手に余ることとして退け、それでもいつか言葉によって生かされている事実に行き当たる。それがことのはじまりではないか。この世に生れ落ちて以来、知らず知らずのうちに身につけた「私」という同一性は、おそらく言葉が必要とする権威にとって十分なものではない。それどころか、邪魔でさえある。権威は自律性と言い換えてもいい。そもそも、言葉は、ジェイムズ・ヒルマンのいわゆる「脱人間化」の契機ではないだろうか。ヒルマンはイェイツの「ビザンチウムへの船出」からの詩句を引いて「脱人間化」の意味を明らかにする。

 

人間など卑小なもの、

棒切れにかけたぼろの上衣に過ぎない、

もし魂が手を叩き、歌わないのならば、

その死すべき衣が裂けるたびにさらに声高く歌うのでないならば。

そして魂の壮麗さの記念の碑を学ぶほかに

歌の学校などありはしない。

 

つまり、魂の壮麗さを学ぶためにひとに求められる言葉の源泉への遡行、自己を超える契機だ。ヒルマンはそうした「脱人間化」の過程をキーツの「魂つくり」と同一視している。「この世は魂つくりの谷」、キーツはそう言った。魂はそこで常に新たに見出されるものなのだ。

われわれの文化のなかに魂の存在を示すものは少ない。もともと実体として存在するわけではないのだから、探しようもない。そうした遡行のなかで紡がれる言葉をひとは詩と呼ぶことがある。だが、ひとは詩がその形骸に過ぎないなにものかにたどり着くことを課されているとも言えはしまいか。だから、毎回、源泉への果敢な遡行を求められる。つまり、自らの手に余ることを求められる。しかも、「なぜ、自分が」という問いには答えがない。ヨナの徴だ。

ヨナの物語は「夜の海の旅」と呼ばれることがある。ヨナは自分への呼びかけから逃げ出し、大きな魚に飲み込まれてその腹のなかで三日三晩過ごし、魚の腹から出されたときに初めて呼びかけに応えた。トマス・モアはこの不思議な物語を「卑小なる自己を超える契機」と読み解いた。つまり、呼びかけに応じるとき、魂は自分を超えたどこかで見出されるということになる。

船首で 目をつぶる女神

私を運ぶ 魚影

今は 港に つながれて

朽ちた船を 降りる

はるかな 航跡を

思い出す すべもなく

                                                        (09.12.03

  

*いとう ひろあき 1957年、東京生まれ。英米文学科中退。翻訳者、美術記者・ライターなどを経て2008年にフリーライターとして独立。2008年に第一詩集「閃光/Scintilla」(ミッドナイトプレス)、2009年に「カワカマス~ジェイムズ・ライト詩篇」(ミッドナイトプレス)を刊行。

 

 

 

 

〈詩人の発言 13〉

「真ノ読者」  廿楽順治

 

 三つ子の魂百までも、というわけではないけれど、「現代詩」を読み始めた頃の磁場にいまだに囚われている。七〇年代末、吉本隆明は有名な「修辞的な現在」という論考の冒頭で、こう書いていた。「戦後詩は現在詩についても詩人についても正統的な関心を惹きつけるところから遠く隔たってしまった。(中略)感性の土壌や思想の独在によって、詩人たちの個性を択りわけるのは無意味になっている。詩人と詩人とを区別する差異は言葉であり、修辞的なこだわり(原文は「こだわり」に傍点)である」。

 当時目の前にあった現代詩文庫や、思潮社の新鋭詩人シリーズなどの詩集には様々なスタイルの詩があって、平易な抒情もあれば、実験的なものもあった。「現代詩」の一通りの詩法はもうあらかた開陳されていて、今風に言えばフリーウェアになっていた。後は基軸に何を選択し、そこに他の要素の何を交配させて自分の詩法とすればいいか、それを決定すればよいだけのように思えた。先行世代がこれだけ多様なのだから、その全体を否定しようとしてもできないし、またもはやそういう時代ではない。極論すれば、抒情を目指そうが、前衛を目指そうが、要はすでに蓄積されている様式上の選択の問題なのだ、と見えた。

 九〇年代に入って、私は「現代詩」から遠ざかってしまった。戻ってきたのは六、七年前のこと。もう若くはないので、さすがに様式上の新しさなどはどうでもよくなった。「新しさ」を目指す「現代詩」が、結局は無限に円環する新/旧の世代交代という、擬似的な創世神話しか呼び出さないこと、そしてそれが「修辞的なこだわり」でしかないのは、二十一世紀になっても変わってないみたいだった。自分が発見した方法などは、たいてい誰かが思いついている。そういうことが分かってきたので、とりあえず開き直ったのであった。

 分かりやすい詩も難解な詩も、風俗的な詩も哲学的な詩も、要するにつまらないものはつまらないし、面白いものは面白い。もちろん、面白さというものは人によって千差万別である。となれば、自分の中に住まっている「真ノ読者」(そういうのがいるとしたらの話だが)が感じる面白さ以外、もはや頼るものはない。

 

 でも、面白さを判定するのは、当たり前の話だが、書く側の人間であるはずがない。詩人と呼ばれる人たちは、その点でときどき未練がましく見えるのである。(09.11.26)

 


 つづら じゅんじ 1960年東京都生まれ。横須賀市在住。第43回現代詩手帖賞受賞。詩集に『すみだがわ』(200510月・思潮社)、『たかくおよぐや』(200710月・思潮社)。

〈詩人の発言 12〉

内在の音楽  原口昇平

 

 一篇の詩はどんなものであれさまざまな解釈の可能性を秘めている——と飽きるほどよくいわれてきているが、それがもっとも深く実感できるのは外国語の詩を読むときではないか。というのも、そもそも母語ではないから、ちっともわかったつもりになれないからだ。

 一方で、こうした経験を通過するまえのぼくは、母語で書かれた詩のなかでも平易な文体をとっているものについて、あまりにもわかったつもりになりすぎていた。あるいは、ありふれたラヴ・ソングについても同じだった。すこし別の角度からみれば、作者の個人としての厚みから、文化ばかりでなく社会や政治につながる大きな問題までもがおぼろげながら姿をあらわすのに、ただありふれているという理由でそうしたものをほとんど視野から排除してしまっていたのだ。

 そういえば、以前、資料収集を兼ねた旅行でフィレンツェに一週間ほど滞在したとき、街のいたるところにある教会に入って壁画や彫刻を眺めていたのだが、その圧倒的な歴史性に驚愕しながら、ぼくは自分の暮らしていた街のことを考えていた。フィレンツェの歴史街区はまるで一個の巨大な記憶装置だ。もっともそれは、あくまでひとびとの手でつくられた集合的記憶であって、ときには書きかえられもするのだが、それでも石造りの建物のおかげで時の風化に耐えている。ところで、それまでぼくの暮らしていたあの街はどうだったか? 木の文化はうつろいやすいなどということをよく聞いてきたが、見かけはそうだとしてもまた別のかたちで風化と再構築が起こっているのではないか?

 

 このような問いを抱いて帰国してからしばらくぼくは日常会話さえうまくできなかったのだが、外国語の詩を読む経験はこれに似ている。ひとは外に出なければ内のことを考えない、あるいはむしろ、ひとは外に触れてはじめて内を自らつくりだす——そんな定型句をも超えて、外国語の詩を読む経験は、ときには母語すらも外国語のように相対化するまでにいたる。ぼくはいま一度母のことばやうたについて考えなければならない。とはいえ、母の口ずさんでいたあの子守唄やラヴ・ソングを取り戻したいとは思わない。ただ、歌詞を忘れてしまったのに旋律だけは思い出せるあのうたを口ずさみながら、しばらくのあいだ、ぼくのものとも母のものともいえないこの声に耳を傾けてみたいのだ。(09.11.19

 

 はらぐち しょうへい 1981年熊本県生まれ。2003年第一詩集『声と残像』(私家版)。「雲雀料理」同人。ユニット〈oyasumi〉メンバー。現在、東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程に在籍中(音楽文芸専攻)。

〈詩人の発言11

『戦後詩集5冊』の空欄  近澤有孝

 

『現代詩読本・現代詩の展望』(1980年・思潮社)は、なかなか面白い本で、いまでも詩論やエッセイなんかを書くときにお世話になっているのだが、この中に『戦後詩10選』というステキな特集企画がある。

 きら星のごとく書かれた《戦後詩》の中から忘れられない、あるいはとくに気に入っている作品を10篇あげよ、というタイトルそのもののアンケートだ。

 

この特集がけっこう気にいっていて、いまもくりかえし読んでいるのだが、自分の『戦後詩10編』はどの詩とどの詩だろうと考えてみる。でも『戦後詩10篇』はキツイから、とりあえず『戦後詩集5冊』でかんがえてみると、

 

1 鮎川信夫『難路行』

2 『牧野虚太郎詩集』

3 清水哲男『喝采』

4 山本かずこ『渡月橋まで』

 

こんなラインナップとなった。

われながらずいぶんと偏っているような気がしないでもないが、まあ、好きなオカズをあげるようなもので、その好みの偏りこそがそれを選んだ詩人の資質というか傾向そのものとなっているのではないだろうか?そんなところからじぶんの詩のありかを探ることもできるのでは、ということだ。

 

①と②は期せずしてどちらも『荒地』派の《戦後詩》の揺籃と終焉にあたる二詩集となっていたのにはぼくじしん驚いた。鮎川の箴言めいた詩よりも、北村太郎・黒田三郎らのやわらかな作品ほうが好きだと思っていた。③は表題作の後半《そんなことができるもんか/あなたは/コオヒイの湯気のむこうがわにいて・・・》という張りつめた叙情にガツンとやられ、いまにいたっている。④の『渡月橋まで』を挙げたのは、けっしておべんちゃらではない。女性のことばがこんなに鮮やかでなまめいていた詩と詩集は、ぼくのマニアックなコレクションのひとつとなっている。くりかえし読むことのできる数少ない詩集だ。

 

『戦後詩集5冊』といいながら、4冊しか挙げていないのには、訳がある。

最後の一冊を挙げるのには、まだ早すぎる。なまけもののぼくがまだ読んでいない名詩集もあるだろうし、いまは忘れてしまっているあの詩集があったかもしれない。(でも、忘れられているということは)これからぼくの詩と人生を180度かえてしまうような詩集とのステキな出逢いが待っているかもしれないけれど、

やはり最後の一冊は自分の詩集だといえるような詩集をもつことだ。朝から夜まで彼(彼女)の胸を撃ち続けることのできる詩集を手にするまで、もうしばらくは⑤は空欄のままでおいておくとしよう。(09.11.12

 

*ちかざわ ゆうこう 1960年生まれ。詩誌『SPACE』会員。詩集に『廿代町まで』(ふたば工房)など

 

〈詩人の発言 10

淋しさが往来する  岡部淳太郎

 

 たとえば吉岡実の「静物」のような、それだけでひとつの小世界を形作っているような詩に憧れる。そこにあるのはひとつの確立された美しさであると同時に淋しさだ。詩は淋しい。詩がその内側で抱えこんだ美しさと淋しさに、どうしようもなく惹かれる。自分にとって一篇の詩は淋しさが往来する場所であり、そこに同時に生じる美しさは淋しさと分かちがたく結びついている。

 私が語っているのはひとつのフォルムとしての詩の美であり(それを定型と混同してはならない)、最近では自分でもそれを何とか獲得しようと試みている。このような一種の古典的とも言いうるような詩に向かうのは反時代的なことであると自覚してはいるし、詩の美しさが内側で閉じてしまえば外に広がっていかないという批判があるだろうことも充分予測出来るものの、こうした自己完結した美しさに惹かれてしまうのはいかんともしがたい。時代や社会の状況を見据えて書くよりも、自分の欲求を優先させて書く方が、自分にとっては正しいことのように思えるのだ。だから、私に詩の状況論だとか、詩の進むべき方向を指し示すなどの大それたことは出来そうもない。ただ、自分の書きたい詩を書くだけ。それで終りである。

 私は美しさと淋しさが渾然一体となった詩を、その言語と抒情の現場を愛するが、詩の中にある美しさよりも淋しさの方により親しみを感じる。これは単に私自身の趣向でしかないのだが、たとえば夜空の星ぼしを見上げて、そこに神話を投影して星座を形作った太古の人々の想像力を思う時、そこに壮大な歴史を思い描くと同時に淋しさを感じるのと似ている。私にとって世界は淋しさという抒情が溢れる場所であり、その世界を言葉を使って再現するために詩はある。世界そのものが詩であり、詩作品はそのミニチュアであるような格好だ。だから、私が世界に漂う抒情に淋しさを感じる以上は、詩作品の中にもまた淋しさが往来しているのだ。

 詩は世界と同じように淋しい。詩は淋しさが往来する場所であり、そこに同時に生じた美しさを抱えて、詩は眠っている。世界もまた、淋しく眠っている。世界と詩は、互いに淋しさで共鳴し合いながら私の前に在る。(09.11.05

 

 

*おかべ じゅんたろう 1967年神奈川県生まれ。2006年第一詩集『迷子 その他の道』(ミッドナイトプレス)刊行。詩誌「反射熱」主宰。詩誌「gaga」同人。

 

〈詩人の発言 9〉

詩を構築すること  浅野言朗

 

 詩は、言葉を用いる芸術の中でより自由で先鋭化されうるジャンルであると考えている。世界全体を捕縛する網のように、その射程はどこまでも広げることができる。具象的な物語の筋の辻褄を合わせる必要があるわけではなく、絶対的な形式や韻律の制約があるわけではない。作者が自身で設定した形式の中で創作し、その総体が説得力のあるものであれば成立するとされる。

 20世紀の世界大戦を経験し人類が大きな危機に直面した頃、「全体小説」という概念が確立され、小説は社会=世界全体を納め表現・構想する容器であると発想された。しかし、21世紀である今日、物語を構成する要素が他の様々なジャンルに拡散している中で、その可能性はより発展的に詩(或いは詩的なもの)に受け継がれていると考えている。優れた詩の言語は、その抽象化・象徴化の作用によって対象を自由に圧縮したり拡大したりすることが可能であり、一篇の詩・一冊の詩集の中に世界の複雑な構造を丸ごと捉えることを試みることもできる。詩集『2664/窓の分割』はそのような志向を持つものである。

 <全体>を捉える形式の一つの可能性として、この詩集では<変化しつつ反復・増殖していくもの>を考えている。生命現象をその比喩と見なしうるように、ここでは、1)全ての要素は、原型が反復・増殖する過程で変質したものとして形成される、2)変質した後の最終的な要素だけが残るのではなく、その過程におけるすべての要素が互いに関わり共存することで全体が構成されている、という2点が観察される。

 具体的に詩集2⁶=64/窓の分割』では、左右のページが鏡のように映し合う本の持っている対称性を起点に、1つのページが2つのページになり、さらに24になり48になり…少しずつ変化しながらどこまでも反復・増殖していく形式を用意して、一冊の詩集が世界=街で生起する事象を観測する窓となるように考えた。

 これからも、このように<全体>を構想する詩集の構築の試みを継続して行きたいと考えている。(09.10.29

 

 

*あさの ことあき 1972年、東京都生まれ。2005年、浅野言朗建築設計事務所設立。2009年 、   2664/窓の分割』(ミッドナイト・プレス)で、第41回横浜詩人会賞

〈詩人の発言 8〉

 詩が満ちるのを待つ。  清水あすか

 

 いつも一編詩を仕上げると、次また詩が書けるかな、と思う。

 力を持った、読むものにインパクトを与える一編を書くことは、まず本人の力と、大きいものでは時代であったり、遭遇したもの、その時の環境、そのような周囲とのタイミングによって、意外と出来てしまうような気がする。もちろんその一編だけで、充分に詩を書く価値があるといえるかしれないし、長く書いていればよりよい詩が書けるようになるのか、それは経験が足りなすぎてわからない。ただ、一編の詩を「書きたい」というより、「書き続けたい」。そうしたい、ではなく、どうすればそうしていけるかを、考えている。

 年を取ることで、出来なくなることを数えたら限りない。それはひたすら、比べる作業だからだ。腕力だけで詩を書けばそれは筋力が落ちたと言って書けなくなる。勢いだけで書き散らせば、頭が追い付かなくなって、以前と同じ様には迫ってこない。でも、年を重ねることが、衰えるのでなく、変化していくことである詩を書いていきたい。

 詩は、分野としてどんなに小さくなっても、無くなることはないと思う。地位や賃金で量ることは出来ず、目の前の仕事だけが、自分の位置も奥行きも、深さも知らしめる。誰かの評価より前に、そこにある詩が、まず自身にそれを突きつけてくる。そうやって向かい合う作業は、詩だけに限らず様々な分野が持っているものだし、その意味では詩はけして、特別な仕事ではない。そして向かい合う中にある、「本当に本当に、人はずっと孤独なんだ」、という感覚。これが何より最後まで、詩を生かすように思う。

 

 雑誌や媒体があること、読む人がいること、期日を目安に仕上げること。それは格段に詩を育てるけれども、それが全部無くなる様も想像できる。書く場が無くて、読む人もなくて、誰も自分の詩を待ってはいない。それは自分ではない要素、他者にも大きく頼るものだから、どうにでもなり得るし、なってしまうし、自分の手が届かない領域もある。それでも、詩を書いていくこと、その終わらない作業をするということ。ずっとずっと、一人で。その時に詩は、生きていくということの、とても近くに添っている。

そして想像する。いつか詩が、その書く所作によってのみ現れるのでない、全ての動きにみなぎっていられたら。それはまだまだ、そうなれたらいい、遠くを見ている。(09.10.22)

 

*しみず あすか 1981年八丈島生まれ。07年第一詩集「頭を残して放られる。」09年第二詩集「毎日夜を産む。」(共に南海タイムス社)

〈詩人の発言7〉

詩の容れ物  平井弘之

 

 言い訳をするためずっと詩を書いている。ひとつには「営業」にたいして。もうひとつは「オトコ」にたいして、さらには「オンナ」あるいは「音楽」あるいは「よこしまな心」それから「弱い」と云うこと。

 快適な住処を探しているが、諸般の事情でなかなかママならない。快適な住処、たとえば四角形のうえに三角形をのせて描くと家が出来る。この家が詩だとすると、これは間違えと判りやすくなるのかも知れない。家は「営業」によって購入されたり、「オトコ」の甲斐性だったりするわけでおよそ詩的なものと対極にあるもののような気がする。兄弟が図面を引く、ここは寝室ここはリビングここは書斎ここは床の間のある和室。ここが詩の在る所。

「オンナ」になれば一挙に紺碧の海を見わたす南国の高台、海岸線が白く静止して視えていたと思えば、津波に逃げまどい飲み込まれて行く人びとまで視える。詩的なものが津波に負けてゆく。快適な住処はきっと詩ではなくなにかとても流動的な容れ物にすぎない。「音楽」は詩の容れ物たりえるかも知れない。しかし「オンナ」同様、詩的なものに違反する感じがする。「よこしまな心」は更に坂道を行き過ぎる。

 容れ物が詩ではないからとここから言い訳が始まってゆく気がしないでもないが、ここでの結論はまだ少し先。逆に云えば家は詩ではないということにもなるけれど、詩人はけっして丸裸の放浪者ではない。くり返されて云うではないか、家族や皆さんのおかげですと。なかなか二段目のロケットに点火出来るだけの言葉が見つからないのだが、容れ物が詩ではないことが判りながらわたしはそこに入ろうとしている。そしていまその容れ物が身近にないことに後ろめたささえ感じることがある。そんな容れ物を探そうとする。

 わたしはそこに入ろうとしている。入りさえすれば詩の獲得が出来るのだと、いいやそれは間違いなのだよ、と言い訳を始めている。詩は容れ物ではない。容れ物ではないのか。そこにわたしは入ることが叶わない。叶わないのか。たまらず文脈を放棄して詩は<ずれ>であるという結論付けをしようとするがどうもしっくりとはこない、ままならない。「よこしまな心」から自由になることや「弱さを」もって王国を反転させることなど、これもまたしっくりこないのです。それが詩なのか、詩はどこに入るのか、詩は容れ物ではないのか、いったい詩は幾らするのだ、その容れ物は幾らで買うことが出来るのだろう。あなたもわたしも詩はお金で買えないと口をそろえるだろう。それに売っている所さえないのだと、仮に在っても売れないと、更に作っていないのだと。いいやわたしが知らぬだけなのだと。入る術さえ身に付いてはいないのだと。もとい。

 詩はそんな所にはけっして在るものでなく物語りを越えた(あるいは越えられぬ)、不可能への恋慕だと。その謎解きが、あなたの言葉の口唇を短く舐めることが出来うるかどうかが課題なのだと。黒塗りのアイシャドウが、負け犬の眼光をあなたの眼の奥に鋭く集めてゆきますように。耳の飾りが、願いと笑いの言葉となりますように。(09.10.15)

 

ひらい ひろゆき 1953年生まれ。詩集に、『忘れ女たち』『管〔くだ〕』『小さな顎のオンナたち』。HP『忘れ女たちweb』で「日刊詩」を継続中。http://www005.upp.so-net.ne.jp/charlie_/index.html

 

 

〈詩人の発言6〉

未来に関するぼんやりとした三つの雑感  タケイリエ

 

 

1 詩に明るい未来はあるのか、と問われたら「ある」と即答する。

それは理屈ではなく、胎動であり、地に伏して耳をあてると聞こえてくる。詩周辺のうねりは、地上で起こることに刺激され、加速していくだろう。ただし、出来上がってしまった階層を、平坦にならすことは容易ではなく、ゆっくりと崩壊する部分を、私たちは見届けるほかない。希望のあることを考えたり、書いたりしていきたい。

 

2 詩の孤島、この居心地はどうだろう。ほかの島へ渡ってみたいと思えば渡れるのだから、最前線に立つ詩人は、同じく最前線に立つ音楽や演劇の島に渡って、彼らと作りあげたものを読者に見せてほしい。詩人は、詩人たちのみによって作り上げた空気に安心することなく、しばしば異界に染められて詩に帰ってくるべきだ。この島だけで満足してはならない。

          

3 土のなかに、詩が埋まっている可能性はないのか。わたしたちはどん底に落ちているのかもしれないが、底におちたら這い上がるのではなく掘り進んだほうがいい。掘って掘って、掘りまくって、それが地球の裏側であっても、そこで目にした光景は、私たちを突き放したりしないだろう。土に手を汚し、大量の汗をかく詩人を、わたしは支持し、信用する。(09.10.08

 

*タケイリエ 岡山県在住。詩誌「どぅるかまら」同人、詩誌「tab」共同参加、詩誌「ウルトラ」13号に詩「ガールズワンダーランド」を寄稿しています。

〈詩人の発言5〉

現代詩は何故、「芸」の「術」になり得ないのか?  秋川久紫

 

今に始まったことではないのだろうが、残念ながら現代詩の書き手と読み手はかなり重複している。というより、実態としてはほとんどイコールと言っても良いかも知れない。そういうジャンルは他にもたくさんあって、書道でも生け花でも日本舞踊でもフラメンコでもいいのだが、主に様式美や伝統などを重んじる種々の表現の現場で同様のことが起きている。そこには、実作者(実演者)ではない鑑賞者はほとんどおらず、個々の人格としては別であっても、発し手と受け手が(先輩後輩ということは別として)基本的には同じポジションの者同士ということになってしまう。発し手と受け手のポジションが同じとはどういうことか? それは、真の意味での批評の独立性が保たれず、批評そのものもが創作の従属物としての価値しか持ち得ない、ということである。そしてもう一つ重要なのが、そうした一般の鑑賞者がほとんどいないジャンルにあっては、作品が「売れる、売れない」という経済の価値判断にさらされないがために、市場における流通価値が形成されるということがなく、その結果、いつまで経っても実作者がそのジャンルでメシを食っていくことが出来ない、という顛末が必然的に生じるということである。

こんなことを私が敢えて言うのは、私自身がかつて美術雑誌の編集長を務め、絵画や工芸作品などの市場の流通の現場をこの眼で見て来たからである。芸術作品は本来、価格がつけられ、市場で流通し得るものなのだ。それは、小説、音楽、演劇、映画などの他の一般の鑑賞者が存在する世界でも恐らくは同様なはずで、必ずしも「優れたもの=売れるもの」ではないということはあるにせよ、そもそも市場原理にさらされないものは生き残っていけない。そこには、実作者ではない優れた批評家が必ず存在しており、実作者も批評家も双方が別の独立した立場で主張をぶつけ合い、互いに切磋琢磨するということがごく自然に行なわれている。そして、優れた実作者や批評家は、双方が一般の鑑賞者や一部のパトロン的な好事家が形成する市場に支えられてメシを食っていけるようになる。それが、本来の「芸」の「術」ではないか、という思いが私にはある。現代詩は何故、「芸」の「術」になり得ないのか、と。

もちろん、事態は単純ではない。一般の鑑賞者と現在書かれている現代詩の作品の位相との間にはかなりの隔たりがあり、今やパトロンが自らが見出した才能に惜しみなく金を出す時代では無くなっている。ただ、それでも例えば東京展94万人、九州展で既に50万人を超えた『国宝阿修羅展』に並んででも観に行く一般の鑑賞者層の何割かでも現代詩の方に引き寄せることが出来ないものだろうか、その可能性は決してゼロではないのではないか、などとかつて美術の世界に身を置いたことのある私はつい思ってしまうのだ。(09.10.01)

 

*あきかわ きゅうし 1961年東京生まれ。2006年第一詩集『花泥棒は象に乗り』(ミッドナイト・プレス)を刊行(第18回富田砕花賞)。200910月、第二詩集『麗人と莫連』(芸術新聞社)刊行予定。

 

〈詩人の発言4〉

自問する日々    須永紀子

 

長いあいだ〈わたし〉を主語にして詩を書いてきた。〈わたし〉は詩の語り手であって、詩を書く〈主体であるわたし〉とイコールではない。〈主体であるわたし〉の身体、〈主体であるわたし〉の感情を眺めるもうひとつの目を設定し、詩の主語である〈わたし〉を動かしていくという書き方をしてきた。〈わたし〉の語ることが普遍的なものと結びつき、読者にとどくことを願っていた。

なぜ詩を書くのか。初期のころは失った子ども時代を取り戻し欠落を埋めるためという理由があった。その後はささやかな体験のなかの敗北と思われるものに答えを出すという気持ちをもって書いてきたつもりである。折り合いがついたものもあるが、なお残ったものについては、これからも詩のなかで引きずることになるだろう。

詩を書き始めて四半世紀が過ぎた今、語るべき〈わたし〉などあるのだろうかという問いに立ち止まっている。〈わたし〉とは誰か?人間(存在)とは何か。今までそういう哲学的命題に真摯に向き合うことなく過ごしてきた。世界のどこかで起こっている紛争のなかで人間の尊厳を奪われた人々、正規な雇用から外れて追い詰められていく人々。理由のない無差別殺人事件、後を絶たないテロ事件。なぜそのようなことが起こるのか。人間が集団で生きるために作られた国家や法、制度はどのように機能しているのか。情けないことに、わたしにはほとんどわからないことばかりなのだった。それらに関心を持つことが、同時代を生きる人間の一人としての責任であるように思える。

世界がどうなっているのか知るために情報を得る日々のなかで、どこまで辿りついたかを確認することが詩を書くことにつながっていくような気がしている。知り得たことと自分の切実な思いが接触するとき、詩を書きたいという気持ちが生まれる。意識は変化し、詩のことばもどんどん変わっていく。そのため、わたしの場合は締め切りがない限り作品が完成することはない。

人生の前半戦が終わり、何を書くべきか、わたしはしばしば途方に暮れるのだが、世界を知ることが重要ならば、それは詩のなかに何らかのかたちで表現されていくだろうと思う。

〈主体としてのわたし〉が世界を知ることで思考したことを詩のかたちにしていくこと。

詩を書くことによって何ができるか、あるいはできないか。考えながら新しい詩を探っていきたいと思っている。(09.09.23

 

 

須永紀子 1956年東京生まれ。埼玉県在住。詩集に『わたしにできること』『至上の愛』(ミッドナイトプレス)、『中空前夜』(書肆山田)など。個人誌『雨期』を編集発行。

〈詩人の発言 3

いま、詩について考えること——私の80年代  倉田良成

 

 いま、貧しいなりに詩を書き、詩についての考えを書く、ということをやっている。だがこうやっている自分のことを不思議に思うときがある。私は1970年代の初めのころから詩を書き始めているが、80年代をほぼ覆う十数年間、詩も散文も全く書けなくなっていた。70年代には前提や常識であったことが概ね通用しなくなり、拠るべき基準とされていたことが無に帰した感があった。あまつさえ精神を病むに至り、数か月は檻の付いた窓を眺めて暮らした。これに類する失語の経験は、いま書いて活躍している詩人の少なからざる部分にも(私ほどではないにせよ)確かに存在するようである。これは左翼的なものの衰退というより、その衰退をもっと大元のところで引き起こしている深い世界の構造的な変化によるものであり、その構造の褶曲運動は現在もなお継続しているとみることができる。私にとっては剿滅的な80年代、とでも言おうか。私が再び自覚的に詩を書き始めることを得たのは90年代の初頭に至ってからだ。毀れやすい細工物を組み立てるみたいに、言葉は大切に大切に、接合され、組み上げられ、出来上がった一篇は紙面にそっと乗せられた。このとき自らに命じたのは「具体」から離れないこと、身の回りのものをよく見る事から書き始めること。とにかくまず精神的な大文字を消してみる。非道い宿酔からの恢復のように、氷った内面が融けだすように、詩の言葉はゆっくりと帰ってきた。(09.09.14)

 

 

*くらた よしなり 1953年、川崎市生まれ。横浜市在住。詩集は『神話のための練習曲

集』(私家版、2008年)ほか。芸術エッセイ集『ささくれた心の滋養に、絵・音・言葉をほんの一滴』(笠間書院、2006年)。

 

 

〈詩人の発言 2

眼を砕いたあとに  近藤弘文

 

最近、辺見庸『私とマリオ・ジャコメッリ 〈生〉と〈死〉のあわいを見つめて』(NHK出版)という本を読んだのだが、そのなかで掲載されているジャコメッリの写真の異質さに驚いた。そのモノクロの映像は、現在という時間を微細に穿っている一種の「廃墟」としてあって、それらが死からの眼差しによって撮影されたものだということを、見る者に即座に了解させるものであった。

ジャコメッリは詩人でもあったらしく、なるほど彼の写真はまったく詩人の仕事というべきものと思えるし、また彼の連作のタイトルもすぐれて詩的である。例えば、「夜が心を洗い流す」、「死が訪れて君の眼に取って代わるだろう」、「私には自分の顔を愛撫する手がない」など。なかでも「死が訪れて君の眼に取って代わるだろう」というフレーズはここしばらく私の頭に取り憑いて離れない。この連作はホスピスの老人たちを撮ったもので、その写真群にはどれも死が訪れる予感のようなものがたちこめている。まもなく死が訪れる、そして君は死の眼差しをその眼窩に獲得する、そこでいったいどんな光景を見るのだろう、このタイトルはそう暗示しているように思える。

一九九九年前後から現代詩には、あたかも眼を微細に砕いて、その破片がさまざまの映像を映し出すかのような詩が多く登場するようになった。例えば、外山功雄、石田瑞穂、小笠原鳥類、キキダダマママキキ(岸田将幸)といった者たちの詩。主体の「解体」の様相が詩になった。そして、その後「欠片」、「拡散」、「無」「ゼロ」といった詩の現況を言い当てるキーワードが続いている。

詩において、もはや眼は砕かれた、とするならば、ではそのからっぽの眼窩にはいったい何が訪れるのだろう。からっぽのままか、それともジャコメッリの写真のように死からの眼差しをそこに獲得することになるのだろうか。そしてその時の詩はどんな光景を見るのだろう、などといったことをいまの私はぼんやりと考えている。(09.09.07)

 

*こんどう ひろふみ 1976年5月8日生。2004年ユリイカの新人。2007年、詩集『夜鷹公園』(ミッドナイト・プレス)

 

 

〈詩人の発言 1

いま詩について考えること——詩と、そして思考すること

小林レント

 とりあえずひとつのテーマ、「いま詩について考えること」が目の前にある。そしてわたしの思考を記述するようにわたしを駆り立てている。換言するならば、テーマは「お前は(いま、ここで)詩についてどう考えるのか」という問いかけであり、「詩について思考せよ、そして記述せよ」との命令でもある。そのようなテーマに対峙し、わたしは反射的に応答へと向かうが、そこに一種の息苦しさとともに、意識の推移を押し戻してくる膜のようなものがあるのを感じている。

 いま再び「詩について考えること」とはどのようなことか、と二重化された問いを問わねばならないのではないか。詩もまたその一端を担った「世界について考える」ことの暴力と度重なる瓦解とが、「世界について考えること」そのものへのまなざしの遡及を要請したように。

 詩を思考するとき、具体的対象がつかめないがゆえの不安がそこにはある。繰り返されつづける「詩とは何か」あるいは「この詩は何か」という谺。谺への応答はしかし、問いの対象を辞書的な語彙により解体し、意味内容という名の足枷をあたえ、あるいは逆に不可知の領域に押し込めることによって、問いそのものを霧消させてしまうだろう。この不安に端を発する語りかけは返答を期待するが、それがえられた時には自らとともに、詩そのものもまた没落させてしまう類のものではないか。「〜とは何か」という問いは手許にあるひとつの主題の皮膜として機能し、それが打ち破られたときには主題もまた失われてしまう。だからこそ、問いはまた谺として再来する。

 詩と思考はいま、幸福な関係を築くことができるだろうか。詩について考えるとき、もはや詩の自明性をあてにすることはできない。しかし完全なる非知性を与え、自切することもできない。詩もまた思考とともに、あるいは思考によって歴史を担うものでありつづけてきたからだ。

 必要とされるのは詩への問いとその解決という言述の形式を脱却した思索である気がしている。それは詩に対する不安と不信のなかに身を置き、詩の周囲を徘徊するようなものになるだろう。もはや詩について語るものですらないかもしれない。しかし断絶によってこそお互いがお互いを自らに回収することなく、異なるものとして連繋の合図を送ることが可能ではないか。「詩とともに在る」思考はつねにその痕跡をとどめているだろう。詩の言葉が世界の傷を受けるのと全く同じに。09.09.01

 

*こばやし れんと 1984年福岡県生まれ。詩人。最近、文芸誌『界遊』に作品を発表中。詩集『いがいが』。igaigarentboy@gmail.com

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