久谷雉のお弁当箱 ファイル
2「力を守る」
生まれつきの出不精で、筑波に引越して来てから一年半が経つというのに、一度も筑波山に登ったことがない。学校に行く途中や、食事のために外に出るたびに、ふたつに分かれた峰のかげを仰いではいるのだが。先週の日曜日の朝、ふと思い立ち、自転車や市営のバスを乗り継いで、山のてっぺんをめざしてみた。
しかしながら中腹にある筑波山神社にたどりついた所で、財布の中身は帰りのバス賃を残すのみとなってしまった。これでは山頂までのケーブルカーに乗れない。そのまま自分の足で登るという手もあるが、十分な装備をしているわけではない。空はすっきり晴れ渡っているとはいえ、僕のような山に関する素人が、山をなめるようなまねをするのもどうなのか。
結局、てっぺんまで登るのは早々にあきらめて、急な斜面に広がった集落の細道をくぐりぬけ、山のふもとのバス停をめざした。こんなにきつく傾いた土地に住まうことで、一体この集落を作った人びとは何を守ろうとしたのだろう……などと思いを四方にめぐらせながら、できるだけ小暗い林のある道を選んでくだってゆく。
アゲハ蝶やシジミ蝶の類が、からりと乾いた真昼の空気のなかを、ぼたん雪のようにふんわりと舞っている。町なかでめぐりあう蝶たちが、みずからの意思で翼のつけねの筋肉を休むことなく動かしているようにみえるのに対して、この山道の蝶たちにはせわしなさのようなものがまったくない。まるで、何かみえない力の流れに完全に身をゆだねてしまっているようなのだ。また身をゆだねてしまうことによって、ゆだねる対象である力そのものを守っているようでもある。脱力の姿勢というのが、こんなにも美しく勁いものだったとは。
もしも何かを「守る」ための詩というものの存在が許されているとするならば、おそらく、この蝶たちの飛行のような形であらわれるのかも知れない。また、そのような形の言葉たちはいったい、どんな手のひらから生まれ得るのだろう……帰りのバスを待ちながら、よいお土産をみつけたような気もちで、みずからに問うていた。 (09.09.14)
2「感じること」と「考えること」
「感じること」と「考えること」はたがいに対立しあう二本の柱のように見えるが、実は一本の柱をそれぞれ別の角度から観察した結果として浮かびあがってくる出来事にすぎない。それゆえに、「感じること」が 「考えること」を乗り越える日も、あるいはそれとはあべこべに、「考えること」が「感じること」を乗り越える日も永遠にめぐってくることはない。
しかしながら今の時代に詩を書こうとしている人の多くは、おそらくいつも心のどこかで、「感じること」と「考えること」のせめぎあいを意識しているのではないか。「感じること」が「考えること」を乗り越える日が、ことばの仕事を通してやって来ることへの期待を出発点としているようなふしがある。たとえば、実証的な視点で地道に詩を解読してゆくアカデミズムの仕事に対する、詩の書き手たちのぼんやりとした反発も、この意識を発生源のひとつとしているのだろう。
果たして「感じること」の優位への期待は、これからの日本の詩をゆたかにしてゆくのだろうか。私は自戒も込めて、それに対しあえて「否」と答えたい。「考えること」の重みから離れた「感じること」への安易な信頼は、書き手のまなざしを曇らせる。ことばを読み手にさしだすという行為自体が抱える「限界」を、見失わせてしまう。
「考えること」の裏打ちのない「感じること」は、読み手に対して根拠のないあたたかさを求めがちだ。なぜならこのような「感じること」は、読み手の無条件な親切さに由来する了解のなかにしか、生きのびることができないものなのだから。「考えること」のたしかな骨組みに支えられることによってはじめて、「感じること」は広い世界にあふれかえる未知のものたちにふれることができるようになる。ことばが「限界」をむかえる場所、たとえば読み手の誤解のまえでも存在し続けられる。
決して「感じること」を、無尽蔵に奇跡がくりひろげられる打出の小槌のようなものだと思ってはならない。確たる足場を持たない夢を拒むことから、詩ははじまらなければならない。(09.09.01)
