「詩人の発言」ファイル2(2010.1〜)

〈詩人の発言24〉

真実のように見えなくもない  小川三郎

 

 詩を書き始めて8年ほどになる。初めて現代詩手帖の投稿欄に載ったのが2003年。初めての詩集を出したのが2005年。二冊目の詩集を出したのが2008年。そしてつい先日、三冊目の詩集を上梓してみると、バカボンパパと同い年になっていた。

 8年間書き続けても、詩がなんであるかを理解するまでには至らない。毎日のように詩の定義が自分の中で変っていく。だから詩論など到底語ることなどできないし、しかしそれでいいのだと思う。詩が生まれるということだけを知っていればいいのだと思う。

 煙草が大幅に値上げされた今も、喫煙の悪癖を続けている。頼まれて散文を書いているときには、時折煙を吸い込みたい欲求に駆られ、実際煙を吸い込んだりしているのに、詩を書いているときには、一切その欲求がわいてこない。喫煙は恐らく私にとって緊張を緩和する手段であって、緊張は他者との接触の間にのみ生まれるものであって、すると私は散文を書いているとき、他者を意識しながら書いているようであるのだが、詩の場合は、他者を意識することなくひたすら心の底に沈みこんで書いているようである。それにしても、詩もまたひとりきりでは書けないものであるはずなのだが。

 生活の中で自然と詩句が頭に舞い降りることもあるにはあるが、考えてみれば私は詩をむりやりに書いているようである。部屋でひとり夜中や早朝に、写真や絵やらを眺めながら、きりきりと詩句をひねり出しているのである。ひねり出しているうちに、なんとなく気分が乗ってきて、軽いトランス状態に陥りつつ、記憶の沼に沈み込んでいた多くの事柄を掬い出しては、泥を落としてまじまじと見つめたり、角度を変えたりしながら、沼のほとりに並べていくのである。そこで自分や自分の中の誰かと出くわしたりして、段々と真実のように見えなくもないものに近づこうとするのである。

 自分の中の誰かというのが実際のところの他者であるのかどうかはよくわからない。どうであるにせよ、私はそのようにしないと他者とまともに向かい合うこともできないのだから、欠陥のある精神ともいえるが、バカボンパパと同い年にまで到達してしまった今、いまさらそれを矯正することも叶わない。結果としてそこに詩が生まれていたのであるとすれば、それでいい気もする。(10.11.11)

 

*おがわ さぶろう 1969年、神奈川県生まれ。Repure同人。詩集に『永遠へと続く午後の直中』『流砂による終身刑』『コールドスリープ』(全て思潮社刊)

〈詩人の発言 23〉

表現の誠実―いま詩について考えること  小林坩堝


 

 表現は時代を映す。どのような種のものであれ、表現は書かれた地点と無縁ではいられない。「いま」詩を書くときに、わたしは「なにもない」と感じる。たとえば戦後詩が書かれた高度経済成長期と較べてみるとき、いまは明らかに物質面で豊かになったといえる。しかし、我々を取り巻くものごとが或る地点まで到達し、成熟し、溢れかえるという一見自由な状態が、我々を疲弊させ、精神的飢餓状態を発生させているのではないか。わたしの感じる「なにもない」とはつまり、かつての「ない」ことによる飢餓が、「ありすぎる」ことによる飢餓に転回したということだ。だからわたしは、戦後詩や戦後文学に触れるごと、現代の隅々にまで満ちる事後感を苦しく想った。なにもなくなってしまったゼロの地平に立ち、なにを語ればよいのか。

先ごろ読んだ小説家・桐山襲の『「パルチザン伝説」事件』という本のなかに、「ものを書くときだけは、自分自身に誠実でありたい」という言葉があった。桐山は60年代後半に新左翼の学生運動に参加し、82年から、癌で死去する92年まで作家活動を行った。80年代とは経済的には安定成長期の只中であり、現代詩に目を向ければ、戦後詩が終焉をむかえたとされる時代でもあった。時代が華やかな様相を呈するなか、桐山のまなざしは常に過去―東アジア武装戦線や連合赤軍、光州事件―にあった。小説という媒体によって、時代のなかで口を閉ざすことを余儀なくされた人々の想いを汲みとることが、彼の仕事の大半であったといえる。そういう人物が「ものを書くときだけは」と言う。その切実さにわたしは感じ入らずにはいられなかった。

「いま」、時代は恐らく桐山の生きた時代よりも閉塞している。そういうなかでも、我々は「書くときだけは誠実でありたい」というべきだ。詩はその多義性ゆえにはっきりとはその性格を規定しえないものであるが、役割のひとつとして、現実を異化させることのできる表現であるといえるだろう。書くときだけは、ひりつくような現実のなかに自分を消費せずにいられるはずだ。そして時代が終わってしまったのならば、「いま」はじめられるはずだ。時代の内実として、切実かつ誠実に「いま在ること」を見つめる詩行、そういう地点に「いまをもっても」詩は宿る、そう信じたい。(10.4.4)

 

 

 

 *こばやし かんか 1990年生れ。漫画・評論雑誌『幻燈』(北冬書房)、『走馬燈』に詩作品を発表。詩誌『遠来』、『ボオドレエルの誠実』同人。Blog「対話」

 http://d.hatena.ne.jp/dialogolaid/

 

〈詩人の発言22〉

詩が生まれる場所  岩木誠一郎

 

 このところよく考えていることについて書こうと思う。「詩」はどこにあるのか、という問いはきわめて本質的なものであるが、今書こうとしているのはもっと現実的なものだ。

 詩は書こうとして書けるものではない。何人かの天才的な詩の書き手(もしかするとそれこそが詩人と呼ばれるのだろうが)は別として、どこからか詩が訪れるのを待って、その瞬間をつかまえて書くという人が多いのではないだろうか。少なくとも今の自分はそのようにして書いている。

 思えば詩を書きはじめたころは違った。毎日のように書けた(と思っていた)し、ときには1日に何編か書いたこともある。あれは何だったのだろう。

  自分の詩に対する評価基準が高くなったなどという思い上がった考えはしたくない。むしろ逆のように感じる。書き始めたころは、どんなものにも感動できた。それがだんだん麻痺してきて、今ではめったなことで感動できなくなってしまったのではないだろうか。手っ取り早く言うなら、こころが老いてしまったのではあるまいか。

 かくして、締め切り間際になっても詩の断片すら浮かばず、苦悶するということを繰り返す。雨乞いをするように、詩のミューズがほほえんでくれることを願い続ける。

 そのような日々を何度か送るうちに、ここに行けば詩に出会えるかもしれないという場所が少しずつわかってきた。自分にとっての「詩が生まれる場所」とはそういう意味だ。

 それらの場所について、具体的に書くのはやめておこうと思う。三流のマジシャンが種明かしをするようなもので、おもしろくも何ともない。

 ただ考えるのは、詩というものが結局自分の外にあるのか、なかにあるのかということだ。もともとその場所にあった詩を、幸いなことに自分が感受できたのだろうか。それとも、その場所に行ったことで、自分のなかにあった詩が(幸いなことに)目覚めたのだろうか。

 最近、詩を書き始めたころのノートをめくっていたら、次のようなフレーズをみつけた。

 「わたしは/風景が触れてくるたび/子守歌を流す/かなしいオルゴールなのだ」

                         (10.3.7)

 

*いわき せいいちろう 1959年、北海道生まれ。詩集に『あなたが迷いこんでゆく街』(ミッドナイト・プレス)

など。

 

 

〈詩人の発言21〉

詩は、断片であり全体  清水鱗造

 

 夢想家を貫いたら、生きにくいことこの上ないかもしれない。しかし、詩を書くようになる人は大抵夢想家であったことがあるような気がする。

 もちろん言葉は生活のために使われるものであるから、詩はさまざまな方角からやってくる。感情、論理、心の動きの全体から言葉は発せられるのであり、夢想をことさらに挙げることもないかもしれない。しかし「比喩」は夢想の構造を基にすることは多い。イメージが思い浮かぶままに、というわけである。

 たとえば、今キジバトが外で鳴いた。最初にキジバトの鳴き声を聞いた場所は、間違いなく幼いころ住んでいた生家である。それに続いて思い出すのは、一昨日近所の道端で何か探しているようなキジバトが至近距離まできたことである。

 どこか寂しげなキジバトの声。ぼくの中に貫いている過去からの線と、現在の空間に広がる面。台風で落ちたキジバトを拾って二階で育てていたところ、親鳥が小豆を運んできたことや成長した鳥を逃したら人に馴れているため畑に蒔いた種を掘って食べてしまったことを思い出す。

 キジバトの声を聞くと一定の気分になるのはそんなに具体的なエピソードを出すまでもなく、喚起されるもの全体が醸し出すものだ。

 また、毎日この部屋の窓から空を見ていると、じつにいろいろな雲の形が現れる。写真に撮ってブログに載せたりしているが、空の景色というのはどこに行っても似たようなものだ。雲を見ていると、雲の様子から逆にそれをどこかで見ている自分を思い出すこともある。

 旅の途中の駅や港での待ち時間に見た雲、なにかに焦っているようなときに見た雲。

 つまりは断片であるイメージで過去と交信したり、新しい層を作り替えたり、いわば心の全体がつねづね動いていくのである。(10.1.25)

 

*しみず りんぞう 1950年、静岡県生まれ。東京都在住。詩集に『ボブ・ディランの干物』『白蟻電車』などがある。


〈詩人の発言20〉

神ならば  入沢康夫

 

「当人は詩のつもりで書いていても、そこに全然詩が宿っていない作物が世に充満している。これは過去数十年ほとんど変わっていない事態で、日本の詩の世界なんて、どうせそんなものさと諦める他はないようだ。うん、そうだからと言って、自分が何か書こうとなれば、大勢順応というわけにはいかないだろうが。」

 三年ぶりに会った、傘寿を大分超えた先輩詩人が嘆いて言い、一息入れて、さらにこう続けた。

「困ったことに、自分の書くものに詩が宿っているかどうかが、どうやら当の詩人にはなかなか判らないものらしい。お前さんも気をつけた方がいいな。いや、所詮、気のつけようもないことかもしれないがな。」

 いや、御説御尤もである。作品を構成する「言葉の繋がり」が、どんな「意味」を表わしていようと、あるいは表わしていなかろうと、そこに「詩」が(あるいはその片鱗でもが)宿っている場合というのは、なかなか稀なことに属している。かの先輩詩人が言う通り、世間では、この基準が最大限に(ほとんど無いに等しいまでに)緩やかにされていて、そこに「詩」のない詩、そして詩集の氾濫が際限もなく生じているのが、悲しい現実である。

 ことここに到って、あえてこのような現実に抗して、あくまで「詩」を求め続けようとする際の、辛うじて効能のありそうな「金言」は、こうもあろうか。

 

 

☆ 「詩」を求める詩人は、徹頭徹尾「正直」でなければならない。

 

 そして

 

☆ 「詩」を求める詩人は、おのれのペン先に「詩が降臨する」ことを願って、次の古謡を、折にふれ念ずべきである。

 曰く、

  「神ならばゆららさららと降(お)りたまへ

  いかなる神か物恥(ものはぢ)はする」

 

                                                     10.1.18

 

* いりさわ やすお 1631年島根県生まれ。詩集『倖せ それとも不倖せ』『わが出雲・わが鎮魂』『かりのそらね』等 。随想集や翻訳書若干。


〈詩人の発言19〉

「苛立つこと。怒り、哀しむことそして笑うこと」  八木幹夫

 

感動がやってくるのを待って「詩」を書くのだろうか。インスピレイションの介在しない「詩」は詩ではないのだろうか。「詩」は「私」という個人の器の中に湧き出してくるものなのか。抑圧された集団、抑圧された個人の中に発生する声が「詩」となるのか。それがよく解らない。飢餓感や危機感が水割りの酒のように薄れていくと、浸透圧の力は弱まり、日常と非日常の、個人と共同体との、世界と私との距離と緊張関係が消滅する。

今、わたし達に入ってくる情報とは何であるのか。テレビやパソコンや新聞雑誌、書籍類から入手した情報は、次々に情報価値を消耗させていく。

「詩」とはそうした「情報」であろうとする方向とは逆にわたし達に働きかけるものではないのか。私には次第に「詩」が見えなくなってきている。どういう詩が書きたいのか。身辺の老病死を見つめることなのか。疑うこと。これでよしとしないこと。見つめ方が問題だ。移動すること。移動しつつ見ること。形式や型式。意識としての制約。定型性と不定型性を抱え持った詩。最先端に立つものとしての意識を喪失した時、「詩」の意味は消える。詩について考えることは、この世界の未来のありようを考えることだ。ワタシがアナタであり、アナタ以外の複数のアナタを貫くものであろうとすること。ワタシは苛立っている。アナタも苛立っている。ワタシは憤っている。ワタシは哀しんでいる。浸透圧の落差によって「詩」が起こる。人間はじっとしていても苛立つことのできる動物なのだ。落差こそ表現衝動の根っこにあるものだ。

ワタシは哀しい。だからワタシは深く笑いを求める。本当に笑え、本当に哀しめる「詩」が永遠に近づく「詩」だと思う。(10.1.11

 

やぎ みきお 1947年神奈川県生まれ。八木幹夫詩集」176現代詩文庫、「夜が来るので」等 。現代詩人会会員 歴程同人

〈詩人の発言18〉   

眼下の敵  清水哲男

 

 「私が理想とするのは、署名などは無くても(無名性のままで)読者に受け入れられる詩だ。まるで縁側にあたる柔らかい冬の日差しのように……」。

 そんな趣旨の文章を、二十代半ばにに書いたことを思いだした。この理想は、半世紀近くを経た今でも変わらない。変わらないどころか「オレがワタシが」の風が吹きまくる昨今だけに、ますますその観を深くしている。

 詩歌の世界だって仙人の集まりではないのだから、当然現実世界を反映する。どんなに孤高の天才であるとしても、こればかりからは逃れられない。したがって「オレがワタシが」の現在進行形の姿は、そのほとんどが現実社会の仕組みの反映なのであり、無理もないと苦笑することだけはできるし、たまには同情することもある。

 裏返せば、詩にしろ他のジャンルの作品にしろ、作者個人の力でクリエイトできる部分は微々たるものである。その大半は歴史的に積み上げられてきた文化や芸術遺産と現代社会の持つ力学とによって、誤解を恐れずに言えば、向こうからやってくるものなのだ。

 だからこのときに、本来は「オレがワタシが」とは妙な話なのだけれど、ここがまた現代の現代たる所以なのであって、目を凝らして見るまでもなく、いまやこの態度はほぼ万人の通常の生活感覚に共通している。つまり、この態度を失っては生きていけないように、社会の仕組みが強制恫喝しつづけてきている。したがって「オレがワタシが」はいわば処世術の一つなのだからして、詩人もまたそれに伴走するように書いているという具合に理解できる。

 そして、この態度が詩歌にとって無念なのは、書き手が読者を信頼できない状況を生んでいることである。加えて、逆もまた真なりだ。信頼できないからこそ、書き手も読み手もますます署名性にしか頼れない。頼れないからこそ、詩は無名性を失って隘路に喘ぐことになる。現今の詩歌の眼下の敵はここにあるだろう。(10.1.1

 


*しみず てつお 1938年東京生まれ。詩集に『喝采』『スピーチ・バルーン』『黄燐と投げ縄』など。