詩の相談室(回答者・久谷雉)
〔Q〕こんにちは小久米ノと申します。この度は詩作についてお伺いしたくてメールしました。詩を書くとき、わたしの場合は書きたいと思うものを書いてきましたが、文章力をあげたいなら書こうと決めて書いたほうが良いのでしょうか? あと他にもよい勉強のしかたがありましたら教えてください。いままではまったくの自己流できましたので何も分かっておりません。ただ楽しいと思う気持ちはありますので、もっと詩に向き合いたいと思っております。なにとぞアドバイスの方をお願いします。
〔A〕まずご質問の《書きたいと思うものを書く》ことと《書こうと決めて書く》ことの違いというのが、私にはよくわかりません。そもそも《書きたいと思うもの》という言葉自体が非常にあいまいなように思えます。《もの》というのは内容(もしくはテーマ)のことを指しているのか、あるいは形式のことを指しているのか。まあ、この二つの要素を単純に切り離して考えるのも難しいことですが。しかし、小久米ノさんのおっしゃることがいずれを指しているかにせよ、《書こうと決めて書く》こととそれらがどう対立するのかが、この文面からは明確ではありません。
ひとはものを書く時、たとえばそれに費やす時間という要素ひとつをとってみても、かならず犠牲(と言うとやや大げさかも知れませんが)を支払っています。映画を一本観たり、あるいは明日ある会議について考えたり——時間の使い道は色々と存在するにも関わらず、詩を《書いて》しまう。それは結果的に、ご自分が詩を書こうということを《決めて》しまっているのと、同じことなのではないでしょうか。
そういうわけで数週間ほどご質問のメールとにらめっこをしていたのですが、もしかすると小久米ノさんがお聞きになりたいのは《詩というジャンルが抱えている歴史性を意識して詩を書くべきなのか、どうか》ということなのではありませんか? 古今東西、あまたに書き綴られてきた詩作品の中で、自分の書いた詩がどのような位置を占めることができるのか、意識して書くことが必要なのかどうか——ただ単純に自らの心情に従って書くのではなく。その答えですが、詩を書くことをご自身の趣味以上のものにしたければ——あるいは読み手という他者を巻き込んでゆきたいのならば——、イエスだと思います。書き手自身の持つ詩についての蓄積と、読み手の持つ詩についての蓄積がぶつかりあうことによって、詩は深みを増します。また「勉強」というのはその蓄積を作るために必要なわけですが、まずはとにかく先行作品を読み込んでゆくのが基本になると思います。(久谷雉)
*「詩の相談室」は、この回をもって終了します。長い間、ありがとうございました。