★詩と……の日々
2016年5月7日(土)晴れ
立原正秋を読み返し始めた。『日本の庭』がこれから迂生になにをもたらすのか、考えると、思わず身が引き締まる思いがする。
いまは全集第二十二巻から第二十四巻まで収録された「エッセイ」を同時並行的に読んでいるのだが、例えば、スペインで闘牛場を後にして居酒屋に向かう途上で呟かれる、「日本は神なき社会だといわれているが、考えてみると、この水と緑の豊かな風土でどんな神が必要なのだろう」ということば。これほどに明晰なことばを、いまどこで読むことができるだろう。思えば、神を、絶対を、——詩を通してでさえも——拙なくも、求めていたことに気がついたのは、つい最近のことである。「詩を通してでさえも」——このフレーズに万感無量の思いをこめているつもりなのだが、それについては、いまは措く。ただ、これまで拘泥していたなにものかが、この立原正秋のことばで氷解したということをいまは記しておきたいと思う。
ブルッセルⅡ 素朴な壁画(クレスク)
ポール・ヴェルレーヌ(金子光晴訳)
小径はどこまでも、
空のつづく限り。
仄明りのなかのあたりの神秘さ。
こんなとき、ひっそりと
木蔭にいるたのしさを
君はしっているか?
身じまいのいい紳士たち、
正真まちがいなくそれは
ロアイエ・コラールの友人達で、
彼らは、お城のほうへあるく。
いうまでもなく、僕は、
この老人方を尊敬しているのだ。
まっ白なお城は、
側面に、
没陽(いりひ)をうけている。
そのまわりは、見渡す限りの畑。
おお! 僕らの愛は、
ここでは、みのりそうもない。
一八七二年、ジュンヌ・ルナールの居酒屋で
3月7日(月)雨
(詩的メモ)
気になる詩集を何冊か手の届くところに置いて、時間をみつけては読み返す。冒頭の一篇を読んだだけで、それがどんな詩集であるか、ほぼつかむことはできるが、判断がむずかしく保留する詩集もなかにはある。気になるところがあって捨てきれない。そういう詩集を何度か読み返していると、詩集と読み手との関係が揺れ動く。その揺れが、その詩集の魅力なのだろうか、などと考えてみたりする。
*
いわゆる詩らしき詩は金輪際書くまい、というひとつの意志、態度がある。なるほど、その詩は、いわゆる詩らしき詩では決してなくて、読む者は、そこに、書く者の強い意志を見出し、また、新鮮な印象を覚える。だが、同時に、ここにはなにかが欠けているのではないかとも思う。
「論語」の一節に、こういうのがあった。
「子、魯の大師に楽(がく)を語(つ)げていわく、楽はそれ知るべきなり。始めて作(おこ)すとき翕如(きゅうじょ)たり。これを従(はな)てば純如たり。皦如(きょうじょ)たり。繹如たり。以て成ると。」
一如とはなにか。
2月1日(月)曇り
このたび、平井弘之詩集『浮間が原の桜草と曖昧な四』を刊行しました。詳細は、「ミッドナイト・プレスの本」をごらんください。
★お知らせ(2015.1.27)
『影法師』は、紀伊國屋書店新宿本店、同新宿南店、ジュンク堂池袋店、同北区店、同大阪本店、同新潟店、同郡山店、三省堂書店池袋本店、八重洲ブックセンター本店、高田馬場・芳林堂書店、立川・オリオン書房ノルテ店、丸善津田沼店、名古屋・ちくさ正文館などにあります(在庫状況などについては、各書店にご確認いただければ幸いです)。
なお、『影法師』はネット書店で紹介されていませんが、できるだけすみやかに紹介されるように努力します。
2016年1月12日(火)曇り
本郷・菊坂通り
昨日は久しぶりの「山羊散歩」、「宮沢賢治と東京」というテーマで、八木幹夫さんと本郷・菊坂近辺を散歩した。賢治が家族に無断で上京したのは一九二一年(大正十年)。本郷・菊坂町に下宿した賢治は、昼は印刷所でガリ版をきり、夜は国柱会の布教活動に従事するなかで、童話などを書き続けた。食事は水とジャガイモだけで、ひとつきに書きあげた原稿は三千枚という。「私は書いたものを売らうとしてゐます。……愉快な愉快な人生です」(その頃の手紙から)今回の「山羊散歩」は、この東京での宮沢賢治に焦点をあてたもので、多角的な視点から賢治に迫る八木さんの話はたいへん興味深いものだった。菊坂を歩きながら八木さんの話を聞いていると、菊坂を歩く賢治の姿が見えてくるようであった。この、歩きながら考えるというのは、賢治の詩法にも通じるものがあり、なにか新しい視点を与えられたような気がする。この散歩のレポート記事はいずれHP上で掲載される予定です。
2016年1月5日(火)晴れ
法隆寺・夢殿への道
小林坩堝さんの「故郷」を読んだ(海東セラ個人誌「pied」15号掲載)。
踏めば消える足跡を追って
眼前にひらけた海の青に立ち尽くす
この冒頭の二行を読んだだけで、この詩の気合いが伝わってくる。果たして、「*/行き倒れることが/ひとつの救いなのだと/食卓で肉を切りながら/窓をたたく風の音ばかりだ」……とたたみかけるように繰りだされる詩行の展開は、暴力的でありながら、しかし繊細だ。歌謡曲的情念を秘めつつも——と書こうとして、「あの女、まだ昭和と寝ているらしい」という一行で始まる彼女の近作「歌謡曲は唄えない」を読み返したり、あるいは、気になって時々読み返している野崎有以さんの「長崎まで」をまた読み返したりして(「長崎は私の「未踏の故郷」です」と野崎さんは云っている)、「故郷」について、詩の/私の「故郷」について考えた。「故郷」最終連は以下のとおり。
さあどうぞ
これは供物ではないんだよ
さめないうちにお食べください
発つまえにどうぞ
2016年1月1日(金)
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ミッドナイト・プレス 岡田幸文
12月30日(水)晴れ
賣太神社
冬至が過ぎると、昼の時間が少しずつ長くなっているような気がする。そして、Hard time is over.と歌う Yokoの声が聞こえてくる。
週イチ更新をめざして始めた「詩を読む日々」だが、このところ停滞してしまった。なにやかやに追われているうちにこの体たらくとなった次第だが、詩を読むことだけで日々が成り立っているわけではないという、きわめて当たり前のことを知らされたことになる。これからは、タイトルを「詩と……の日々」とあらためて書いていこうと思う。
いま時々読み返しているのは、ヴァレリーの「海辺の墓地」である。きっかけとなったのは、「ぼくはヴァレリーの「海辺の墓地」という詩が好きですが、あれが典型的に思考している詩だと思います。要するに、考えていることがちゃんと織り込まれている詩です」という吉本隆明のことばである。この詩は、フランス語がわからない者にとっても、日本語訳で詩の精神を味わうことができる貴重な詩だと、昔から思ってきたが、「考えていることがちゃんと織り込まれている詩」という吉本隆明のことばにインスパイアされて読み返しているのである。ところで、いまひっかかっているのは、その冒頭に置かれたエピグラフである。これは、ピンダロスの「ピュティア祝捷歌」からの引用ということだが、安藤元雄の訳で読んでみよう。
いや、親しい魂よ、不死の生などにあこがれず、可能なことの領域をきわめるがよい。
わずか一行であるが、なんと多くのことが蔵されたことばであろう。いまはこのピンダロスのことばにつかまって、とてもあの最終節(「風が立つ!……生きる努力をせねばならぬ!」……)にはたどりつけないありさまだ。「詩と……の日々」、その「……」のなかで、それがなんであるのか、考えていきたい。