現代詩季評 6

嫌な記憶

 

 ぼくらは、無意識の象徴的メカニズムによって規定されている、といわれてしまうと、まったく自分では処しようのない自分を抱えて茫洋と立ちすくんでいる自分をいとおしいとおもわずには生きていけない、という自分に対する屈折した感情を唯一としなければならないようだ。だからといって、そういう自分との齟齬感がつねにつきまとっていて、齟齬感が、不安感や、嫌悪感や、自己愛感などに転移してしまう危うさと向き合ったり背中合わせになったりと、その場その場の臨床的な立ち居振る舞いを求められている、といっていいだろう。

 

 横浜市立大の高塚教授らのチームが「恐怖体験」は脳のなかの「海馬」というところで作られる仕組みを解明した、とニュースになった。

 海馬に依存した恐怖体験が獲得される過程でAMPA受容体のひとつであるGluR1が海馬におけるCA3領域からCA1領域にかけて形成されるシプナスに移行するが、このCA1領域においてGluR1のシプナス移行を阻害すると恐怖学習の成立が阻害される、らしい。

 この研究はトラウマ記憶形成の分子メカニズムを明らかにしたもので、「心の傷」は別の記憶による上書きで緩和されるようになるそうだ。まるでワープロの世界だ。間違ったことを書いても上書きすればすべてがチャラになるワープロの世界だ。

 研究の先は、社会性障害等の精神障害をコントロールする新薬開発と結びついているそうだから、ぼくなどが口をはさむことではないのかもしれないが、ぼくはただ、困難な記憶とともに生きることでしか困難な自分を支えてやることができないのでは、と考えている。(科学的な裏付けはないにしても)

 

 一色真理さんは詩集『エス』(土曜美術社出版販売)のなかで自らの由来をこう書いている。

 

バスの中でぼくは生まれた。狛江駅から成城学園前まで行く路線バスの中で、父と母が愛し合ったから。父は明照院で、母は若葉町三丁目で降りていき、ぼくはひとりで大きくならなければならなかった。

 

バスから降りたとき、ぼくは小学生になっていた。小田急線に乗って、新宿に着いたときには中学生で、向かいの席に座っていた少女に初めてのキスをした。高校生の間は地下鉄に乗っていたので、長い長い暗闇だけが窓から見えた。気がつくとそこは御茶ノ水で、ぼくは髪の長い大学生。星の一生を研究して論文を書き、後楽園の大観覧車で恋人と結婚した。

 

地上に降りたとき、妻は身籠もっていた。ぼくと妻はジャンケンをして、どちらに歩いていくかを決めた。三人はそれから長い長い間、坂を登ったり降ったりした。たくさんの夜が自転車に乗ってぼくを追いかけてきた。

 

信号が変わると、息子は道ばたの花になっていた。妻は夜空に陽気な尾を引く帚星だった。ぼくはひとり深夜バスに乗り込んで、少しだけ眠ろう。朝は空飛ぶ豚に乗って、あっという間にやってくるはずだから。                                        (バスの中で・全篇)

 

 一色さんはこのようにして生まれ、育ってきた。TVの中の絵空事ではこんな波瀾万丈で静謐な人生は描ききれない。

この記憶をチャラにしての清廉潔白な人生など一色さんは望んでいないだろう。

 ヒトとは所詮これぐらいの扱いしかされないのだ。こんなふうに投げ捨てられる現実をとぼとぼと生きていくしかないのだ。

 そんなことはみんなわかっている。わかってはいるが、夢のなかに出てくる悪夢、現実の隣に居座っている悪夢、は一度チャラにして清潔な記憶に埋もれてみたい、という欲望に汚染されるときがある。誰だって「父はぼくが殺した」という人生は上書きしたいに決まっている。しかし、オイディプスはこう言う。(ソポクレス『オイディプス王』)

 「このわしにとっても、聞くも恐ろしいこと。それでもわしは、聞かねばならぬ!」そして彼はみずから目を潰し、追放されることを望む。「死すべき命をながらえているのは、ただ恐ろしい禍の、いけにえとされるため」。

 ここには、汚染されているかもしれない自分を、それでも知りたい、という決意、そして、知ったからにはそういう自分をいき切ってしまう、という決意がある。

 一色さんはこの詩集のあとがきで、父親との葛藤をテーマにしていると言いながら、「自伝的要素は注意深く排除し、すべて虚構に置き換えた」と宣言しているが、TVのなかの絵空事が「現実」であった一色さんにとって、一色さんの「虚構」は読者には「真実」にすり替わってしまうのだろうか。「真実」などというあやふやな現実があったとしてのことだが。

 上書きのない生き方、という「真性」を覚悟して生きていくということは、他人との軋轢や悪意といったアクの重ね着のような自分を受け入れて「嫌な記憶」とともに生きていくことにほかならない。この詩集で決意している一色さんほどではないとしても。

 「嫌な記憶」はそれを生きることを望んでいる。

                       (11.7.28)

 

*だいけ まさし 1948年生まれ。「SPACE」発行。