世界の詩を読む 007


魔法のことば  (エスキモー族・金関寿夫訳)

 

ずっと、ずっと大昔

人と動物がともにこの世に住んでいたとき

なりたいと思えば人が動物になれたし

動物が人にもなれた。

だから時には人だったり、時には動物だったり、互いに区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時ことばは、みな魔法のことばで、

人の頭は、不思議な力をもっていた。

ぐうぜん口をついて出たことばが

不思議な結果をおこすことがあった。

ことばは急に生命〔いのち〕をもちだし

人が望んだことがほんとにおこった——

したいことを、ただ口に出して言えばよかった。

なぜそんなことができたのか。

だれにも説明できなかった。

世界はただ、そういうふうになっていたのだ。

 

 

 金関寿夫氏の『アメリカ・インディアンの口承詩 魔法としての言葉』(平凡社)は、英訳されたアメリカ・インディアンの口承詩を金関氏が日本語に訳したユニークなアンソロジーだが、金関氏の魅力的な解説に助けられて、詩の一篇一篇を読んでいると、いつのまにか広くて深い世界に導かれている。上の詩は、アンソロジーの冒頭に置かれたものだが、「時には人だったり、時には動物だったり、互いに区別はなかったのだ。」ということばは、鳥獣山川草木と人間とを分け隔てるものはなにもないと云っているようだ。

 金関氏は、ある本に書かれているエスキモー族についての「興味深い事実」を引用している。「あるエスキモーの猟師は……いったそうである。『男はいつも獲物を探してあちこちむだに歩き回る。けれども家にいてランプのそばにじっと坐っている女たちは、ほんとに強いもんだよ。あの連中ときたら、コトバで獲物を浜に呼びよせることを知ってるんだものな……』」。

 「だれにも説明できなかった。/世界はただ、そういうふうになっていたのだ。」この見者の叡智から、学ぶことは多い。(10.3.1 岡田)