編集者の手帖ファイル1(2010.9〜2011.1)
1月31日(月)晴れ
1月29日、midnight poetry lounge vol.5 久谷雉独演会「詩の話なんかしたくない!」が東京堂書店6階会議室で開かれた。久谷雉は、レジュメとして、茨木のり子、勝野睦人、樹村みのり、岸田衿子、安藤元雄の詩五篇を用意してきた。それらの詩のことばを借りていえば、会場にいる誰もが、詩への、未来への、希望を「もっと強く願っていいのだ」と思い、「だれもいそがない」時間を過ごすことができたように思う。ご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。当日のレポートをいずれアップする予定です。
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倉田良成さんの『詩集 小倉風体抄』が刊行されました。詳細は「新刊のお知らせ」をごらんください。
1月20日(木)晴れ
〈お知らせ〉
昨年10月30日に行われたmidnight poetry lounge vol.4「詩のこれから、これからの詩」(清水哲男さん×文月悠光さん)のレポートをアップしました。
midnight poetry lounge vol.5久谷雉独演会「詩の話なんかしたくない!」は、1月29日(土)です。みなさまのご来場をお待ち申し上げます。
1月16日(日)晴れ
正月も半ばを過ぎてなお、トップにいつまでも「あけまして……」があるのは、いかにも間が抜けていよう。とにかく、上書きをしなくてはと、キーボードを打ち始めたが、このところコンピューターの調子が超BADで、いささか疲労している。今日も昼過ぎに、中村剛彦の「甦る詩人たち」を更新しようとディスプレイに向かったのだが、3時を過ぎても埒が明かぬ状況。ダウナー・モードに落ち込んでしまった。
というしだいで、ことあらためて書く気力も持ち合わせてはいない。以下、メモ代わりに記す。考えることあって、20日をもって、当HPの掲示板を閉じることにした。20日以降は、この「編集者の手帖」で、これまで掲示板で告知してきたことなども書いていくことにする。
……だけでは、曲がないので、近況を以下にひとつ。
13日は、ひょんなことから、久しぶりにサントリーホールに出かけた。プログラムは、R・シュトラウス「ドン・ファン」、チャイコフスキー「ロココの主題による変奏曲」、メンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」、R・シュトラウス「ばらの騎士」。
ところで、この日は、1階の15列31番という、ブエナビスタ。そして、この日のメインは、いうまでもなく前橋汀子のメンコンであった。前橋汀子のヴァイオリンを聴くのははじめてだったが、第一楽章が始まる前から彼女は尋常の人ではなかった。指揮者の沼尻竜典がタクトを振るや、彼女は狂える人となった。仁王立ちした彼女の1736年製デル・ジェス・グァルネリウスから聞こえてくる音は、しかし、切なくも甘美であった。彼女の演奏する姿を見ながら、マルタ・アルゲリッチを想起しつつ、前橋汀子は、小菅優にも庄司紗矢香にも、誰にも負けていないと思った。その後に演奏された「ばらの騎士」は、彼女の演奏に圧倒されたのか、沼尻竜典&東京都交響楽団は目が覚めるような演奏。管弦楽というものを堪能した。
2011年1月1日(土)午前0時
2011年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
みなさまにとって、今年がよいお年でありますように。
2011年のミッドナイト・プレスでは、次のようなことを考えています。
1、 midnight poetry loungeを今年も年4回開催します。
1月29日のmidnight poetry lounge vol.5は、久谷雉独演会「詩の話なんかしたくない!」です。みなさんのご来場をお待ち申し上げます。
2、新企画「詩の図書館」を開館します。
詩人の代表的な詩を読むことができる「詩の図書館」を開館します。昨年12月末にはスタートする予定でしたが、少々遅れています。できるだけ早く開館できるよう進めていきたいと思います。ご期待ください。
3、ほかにも、いくつか考えていることがありますが、まずは上記の計画を実行していくことを第一に考えていきたいと思います。
そして、このホームページでは、今年から「編集者の手帖」をトップに置いて、いまの詩について考えていきたいと思います。
今後とも、ミッドナイト・プレスをよろしくお願い申し上げます。
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編集者の手帖(2011.1.1)
2009年の秋、『パヴェーゼ文学集成』第六巻「詩文集 詩と神話」が刊行された。長らく待ち望んでいたチェーザレ・パヴェーゼの詩集『働き疲れて』(1936年)をついに読むことができるかと思うと感慨も一入であった。まず最初に読んだのは、「南の海」ではなくて、詩集のタイトルポエムである「働き疲れて」である。
「働き疲れて」——このタイトルはいったいなにを含意しているのだろう。長く、この問いが僕のなかにあった。このことばが、「詩人という仕事」を含意していることは容易に想像できた。だが、それだけだろうか。一日が終わるときに訪れるもの、その永遠の憂愁のようなものを、僕はそのことばから受け取っていた。
「それにしても」と、訳者の河島英昭氏は書く。「イタリア語の『働き疲れて』Lavorare stancaに籠められている女性の音の響きはどこから来るのであろうか」。「長年のこの疑問が解けたのは、一九九三年の正月であった」。友人のアッティリーオ・ドゥゲーラから送られてきた新著『パヴェーゼの文書のあいだに』を「斜め読みしていたとき」、「アウグスト・モンティの書簡が目に止まった」。それは、パヴェーゼの母の死(1930年11月)を知った高校の恩師モンティがパヴェーゼに送った手紙だった。
「親愛なるパヴェーゼ、
元気を出せ。どうしたというのだ。世界はみなこう出来ているのだ。(略)
《大地は低い。それを耕し働き続けるのは疲れることだ。つねに身を屈めていなければならないから》。私は覚えている。レアーリエの山荘で、故人がこう言ったときに、浮かべた幽かな微笑みを。あれは私たちに共通なものだ。(略)」
(河島氏は、この引用文中、「働き続けるのは疲れること」に傍線を付している)
詩集のタイトルが、恩師の手紙に引用されていた、「耕し働き続けるのは疲れることだ」という母のことばにインスパイアされたものであったことを知ったとき、僕は、詩集『働き疲れて』の入り口にようやく立つことができたのだと、感慨を深くした。
働き疲れて チェーザレ・パヴェーゼ(河島英昭訳)
家出するために道を横切るのは
少年だけのすることだ。けれども一日じゅう道から
道を歩きまわっているこの男は、もはや少年ではない、
そして家出をするわけがない。
夏の日の午後には
沈みかけた太陽の下で、広場までが
虚ろに広がるときがある、そしてこの男は、無用な
並木の道を通ってやって来て、立ち止まる。
さらにいっそう独りでいるために、独りでいる価値はあるのか?
いくら歩きまわっても、広場や道は
みな虚ろだ。ひとりの女を呼び止めて、
話しかけて、共に生きる決意をさせなければ。
さもなければ、独りごとを言うしかない。そのせいなのだ
ときどき、夜更けに酔っぱらいが話しかけてきて
しきりに人生の計画を語りだすのは。
無人の広場でいくら待っても、むろん、誰かに
出会うわけではないが、道を歩きまわる者は
ときどき立ち止まる。もしもふたりならば、
たとえ道を歩いていっても、あの女のいるところに
家はあるだろう、その価値はあるのだろうか。
夜更けに広場は無人にかえる、そして
過ぎゆく、この男は、家並を見ない。
無用な灯のあいだに、もはや目をあげない。
ただ舗石を感じている、自分と同じように
強張った手をして、ほかの男たちが造ったのだ。
無人の広場にいつまでいても仕方ない。
きっとあの女は道へ出てくるだろう、そして
求められれば、家のために手を貸してくれるだろう。
チェーザレ・パヴェーゼの『美しい夏』を読んだのは、1970年代の半ば近くだっただろうか。「あのころはいつもお祭りだった。」冒頭のこの一行は僕をつかんで放さなかった。その後に続く文章を、「働き疲れて」の冒頭を読んだとき、思い出した。「家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて……」
だが、「この男は、もはや少年ではない」。そして、孤独で、疲れている。「一日じゅう道から/道を歩きまわっている」「もはや少年ではない」男は、「家のために手を貸してくれる」「あの女」を探し求めている。そう、ここでは、パヴェーゼのいうとおり、「あらゆる孤独な群像の喚起」が実現されているのだ。ところで、「さらにいっそう独りでいるために、独りでいる価値はあるのか?」ということばは、いったいだれのことばだろう。そう考えて、この詩を読み返すと、この詩には、(そして、詩集『働き疲れて』の諸詩篇には、)「私」が登場していないことに気がつかされる。つまり、ここでは「孤独」という感慨が述べられているわけではないのだ。もとより、「この男」は「私」ではないし、「あの女」も「私」ではない。この「働き疲れて」をとりあえずの起点として、パヴェーゼの詩——例えば、「風景 六」など——を読み進めていくと、そこには、抒情する「主体」としての「私」は存在せず、「祖型」としての「男」や「女」が描かれていることを知らされる。そもそも、「働き疲れて」ということばがすでに祖型を含意しているではないかとあらためて思い知る。
パヴェーゼの盟友のひとり、マッシモ・ミーラは自ら編集した『パヴェーゼ詩集』(1961年)の「序文」で次のように書いている。
「それにしても、そのころ、叙事詩は季節外れのものであり、世は個々人がおのれの暗い心の淵へ沈みこむ叙情の時代であり、俗にいう純粋詩を探究するエルメティズモの時期であった。そういう折に、個々人の告白から解放されることが、イタリア詩の伝統的な十一音節から解放されることと、合体したとするならば、そのときに見出された韻律を、何と名づければよいのか」
僕がはじめて読んだパヴェーゼの詩は「南の海」だった。はじめて読んだとき、このような詩が、20世紀に——1930年代の半ばに——書かれていたことに驚かされた。その最終二行、「思い出に微笑みながら、彼は答える。太陽が/昇ったときには、一日はもう老いているのだ、と。」を読んだときの強烈な印象はいまも変わらない。上のマッシモ・ミーラのことばは、「現代詩のなかで最も孤立した声」の所以を語っているようでもある。そして、ミーラは、「ラテン世界の詩人たちの気質とは相容れない」「叙事=物語性の詩」が、パヴェーゼの故郷ピエモンテ地方に伝わるケルト民族の基層に拠ることを明らかにする。
詩集『働き疲れて』をついに手にしたとき、その「芯/真」を早くつかみたくて、急かされるようにページを繰っていた。そして、繰れば繰るほど、途方に暮れていくのだった。パヴェーゼの詩がもつ奥行きのとてつもない深さの前で、己の無力を思い知らされた。この複雑きわまりない構造をもった詩の世界をどのように読み解いていけばいいのだろう……。だが、同時に、「これが、生きるということだったのか。よし! それならば、もう一度!」と、誰かがいう声が聞こえてもくるのであった。いまは先を急ぐときではない。パヴェーゼの詩の一行一行を深く読み抜いていく以外に途はない。そう観念したとき、僕は「生きるという仕事」とあらためて向かい合っていたのだろう。
チェーザレ・パヴェーゼは1950年8月26日から27日にかけての夜、トリーノ駅前のホテル、ローマ・エ・ロッカ・カヴール346号室で大量の睡眠薬を飲んで自殺した。ベッド脇のテーブルの上には『異神との対話』が置かれていた。その最初のページに、パヴェーゼの書き込みがあった。「みなを許します。みなに許しを乞います。いいね? あまり騒ぎたてないでくれ」
パヴェーゼは最後の手紙に「いまのぼくを知りたければ、『異神との対話』のなかの「野性」を読み返してくれ」と書いている。その「野性」から引用して、わが「パヴェーゼ・ノート」第一章を終えたい。
「誰もがおのれに降りかかってくる眠りをもつのだ。エンデュミオーン。そしておまえの眠りには無限の声と、叫びと、天と地と、日々がある。勇気を出してそれを眠れ、おまえたちにほかの恵みはない。野生の孤独はおまえのものだ。彼女がそれを愛しているように愛せよ。さあ、エンデュミオーン、わたしはおまえを残してゆく。今宵、彼女に会うだろう」
12月30日(木)晴れ
2010年が暮れようとしています。
本年は、たいへんお世話になりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
みなさん、どうぞ、よいお年をお迎えください。
12月26日(日)晴れ
先日、青山・Optitudeで開かれている「谷川俊太郎 詩の展覧会 十二月をほんとは、どこで誰と過ごしたいですか?」を見に行った。写真にあるとおり、Optitudeのあちらこちらに、詩(poem/poesie)が隠されている。この詩の提出(presentation/representation)のしかたは、閉塞する「詩の現在」へのアンチテーゼのようでもあり、思考を刺激させる。この展覧会は30日まで開かれている。
*お知らせ
これまでご愛読いただいた「今週の詩」をここで一区切りとさせていただくことにしました。代わって、これからは「編集者の手帖」を書いていきます。最近読んだ詩についてなど、いまの詩について紹介していければと思います。今後ともよろしくお願い申し上げます。
12月12日(日)晴れ
昨日は、グロッケンシュピールのハンドベルの「演奏」を聴きに、家人と、つくばまで出かけた。ハンドベルを聴くのははじめてであったが、それは想像を超えた体験であった。ハンドベルは、イギリスにおいて、楽器として生まれたものであるようだが、グロッケンシュピールの「演奏」(?)に耳を傾けているとき、このハンドベルを「楽器」として捉えるだけでは、その「真相」を捉えることはできないと思っていた。このハンドベルとはいったいなんなのだろう。「演奏」に耳を傾けているあいだ、その問いは激しく強く胸の中で反芻された。もとより、教会の鐘楼に始まるものであることは了解できるものの、このハンドベルによる「演奏」を考えたのは誰で、その人はいったいなにを考えていたのだろう? もとより、凡夫の身には答えをみつけられるはずもないのですが、54個のハンドベルを振る(「演奏する」?)一人ひとり(個)のperformance(演奏)/「自己実現」をたしかに認識しつつ、その個が大いなる、無名なる「全体」に溶暗していく「美しさ」(harmony、unity)が目の前で実現されていることは、身体が震えるほどの驚異であった。そのとき、このハンドベル(の「演奏」)というものは、ひとつの理念なのだと思わずにはいられなかった。そんなことを考えつつホールを出るとそこは真っ暗の闇。つくばを訪ねる前に、久谷雉と落ち合おうかという考えもよぎったが、それはもとより不可能なプランであったと思い知らされる風景であった。S氏のクルマで近くのデニーズに向かい、そこでキリン生搾りのジョッキを飲む。S氏と話しているうちに、「演奏」を終えたS氏夫人たちグロッケンシュピールの面々が到着。ジョッキ二杯目を干して、つくばエクスプレス→武蔵野線で、東上線に向かったが、無事、最終に間に合った。
10月24日(日)曇り
大家正志編集発行の「SPACE」94号。巻末の「編集雑記」、大家版「情況への発言」を読むという気分でいつも読むのだが、今回も盛りだくさんの内容。大家正志にとって、書くこととは……などと考える。
小川三郎の詩集『コールドスリープ』(思潮社)。冒頭の一篇「名乗りそびれたものたちのこと」を読みながら、デヴィッド・リンチの映画を見ているような気分になる。静謐さのなかのブキミさというか。オリジナリティが感じられ、久しぶりに詩を読むことに新鮮な気持ちを覚えさせられた。
10月17日(日)晴れ
先日のピーター・バラカン「Weekend Sunshine」、ソロモン・バークの追悼特集は、いろいろなことを考えさせられた。ソロモンのCDを買おうと思いつつ、このところジェイムズ・カーの歌を聴いている。沁みる。かつて聴いた、この人の「Hold On」という歌はいまなお忘れがたい印象を残している。この歌が収録されているCDを買わなくては……などと思いながら、ピーター・バラカンの『魂〔ソウル〕のゆくえ』をぱらぱらと読み返している。バラカン曰く、「ジェイムズ・カーは素晴らしい歌手だったのだが、素朴な人柄で、レコードがヒットして有名になった時に、名声と富を自分でうまく処理できるタイプの人ではなかったようだ」。
「BRUTUS」11月1日号、「せつない気持ち」に、ソウルがないのはなぜ?
ドリー・パートンが表出した「せつなさ」は、ホイットニー・ヒューストンのリメイクにおいても、かたちは違えど、滅びてはいないと思う。
秋亜綺羅が、「季刊 ココア共和国」vol.4で、岡林信康の「私たちの望むものは」について書いている。この歌はもとより、バックで演奏するはっぴいえんどの音も「せつない」ものであった。
以下、同誌に掲載されていた、いがらしみきおの「漫画を描くこと」という詩からアトランダムに引用。
例えば——
うるさ過ぎるファミレスか
静か過ぎるお店でひとり晩ご飯を食べる
たぶん私のストレス解消はひとりになることだろう
だからいつもひとりなのか
なのにいつもひとりなのか
あるいは——
漫画の絵の7割は無駄な絵
漫画の絵の9割は描きたくない絵
描きたいと思っていたページまでたどりつき
ようやくその絵を描き上げる時
フィクションは少し現実に勝つのだ
この「少し」ということばも「せつない」。
10月8日(金)曇り
八柳李花、望月雄馬、タケイリエ、高塚謙太郎の4人から成る「Aa」vol.1。タケイリエが書いている詩のタイトルは「midnight press」。一瞬、!?となるが、pressとは、「押しつけてゆく」ものの謂かと得心する。
Rie GOTOの「「四六時中」—ロックはいりませんか」を、このところ、時々聴いている。
10月5日(火)曇り
浮海啓個人詩誌「詩編」第五拾号。A4二つ折りを袋とじにして70ページ。たやすく読めるものではないが、刻印されるように記された一語一語、一行一行は、詩のなんたるかを語りかけてくるようでもある。
朝、ラジオから、マルチェルロのオーボエ協奏曲が聞こえてきた。久しぶりに聴くマルチェルロ。よく聴いたジャン・パイヤールのLPもいまは奥深くしまわれている。CDを買おうかな。
9月29日(水)晴
Kから読めと手渡された、野呂邦暢随筆選『夕暮れの緑の光』(岡崎武志編・みすず書房)をぱらぱらと繰ると、「伊東静雄の諫早」というタイトルが目に飛び込んできた。伊東静雄について書かれた文章をそれほど読んでいるわけではないが、納得のいく伊東静雄論にはまだ出会っていない。そのなかで、野呂邦暢が書く伊東静雄についての文章はどれも味わい深く、好きなので、まずこの文章から読み始め、読み終えるとまた伊東静雄詩集を手に取っていた。「ほとんどの批評家がとりあげるのは『曠野の歌』『有明海の思ひ出』『行つて お前のその憂愁のほどに』『水中花』など、どちらかといえばわかりやすい作品の鑑賞的批評に終始し」と書く野呂邦暢の文章を読んでいると、諫早の街が目の前に立ち上がってくる。伊東静雄が歩いた諫早の街を一度訪ねてみたくなる。
中心に燃える 伊東静雄
中心に燃える一本の蠟燭の火照に
めぐりつづける廻燈籠
蒼い光とほのあかい影とのみだれが
眺め入る眸 衣 くらい緑に
ちらばる回帰の輪を描く
そして自ら燃えることのほかには不思議な無関心さで
闇とひとの夢幻をはなれて
蠟燭はひとり燃える
*
ほかに、「日記」と題された文章では、野呂邦暢はこんなことを書いていた。
「とはいうもののこれだけではいかにもまずしい日記である。来し方行く末を思い、文学的抱負を語り、(略)という具合であれば、他人にとっても読みがいがあるだろうけれども、もしそういう日記を書き始めたら、肝腎の小説はどうなるであろう」
さて、これで「三日坊主」の責を果たした……だろうか。
9月28日(火)雨のち曇り
本日の来信。濱條千里詩集『草の色』(あざみ書房)、ほか。
9月27日(月)雨
ついこの間まで猛暑が続いていたことが嘘のように思われる寒い一日。倉田良成編集発行の「tab」24号を読む。倉田の「詩的喩の基礎について」は、まさに「喩の基礎」について考えることへと導かれる文章。「それが詩的喩かそうでないか、喩とは何かと問う前に、普通の文章・陳述について考えてみる」として、「文(表現)がすべからく非一義的だという事実」、つまり、「喩性」は「文に本来的に用意されている」ことを明らかにしていく。「喩は直喩と隠喩に二分されるだけのものではなく、その拡がりを俯瞰するにはより広く高い視点が必要であろう」という倉田は、「日本地域において、われわれは、言語が、詩が、この千年二千年よりはるかに長く無文字状態であったことを閑却すべきではない」、あるいはまた、折口信夫を引きつつ、「もどく」ということは「あらゆる喩の始めである」として、「喩」の根源に迫らんとする。喩については、いまなお「壁画的分類」が横行しているような観がある。「欲しいのは壁画ではなく言語本質から喩を理解することである」(吉本隆明)とき、倉田の思考は貴重である。ところで、今回味わい深く読んだのは、「文が持っている多義性と「音の共通」に関して」考えてみたいとして、倉田が引用していた皇嘉門院別当の歌である。「難波江のあしのかりねの一よゆへ身をつくしてや恋わたるべき」。百人一首で知られる歌だが、その技巧の限りをつくして歌う、その強度にあらためて唸らされる。葦—刈根/仮寝—刈根の一節〔ひとよ〕/仮寝の一夜—身をつくし/澪標……。「能々所のさま人の名残などを思入て見侍べきにや」という定家のことばに加えるべきものはなにもないだろう。