ミッドナイト・プレスからのお知らせ/編集者の手帖

〈お知らせ〉

 ミッドナイト・プレスでは、昨年まで東京堂書店会議室で開いてきたmidnight poetry loungeと、これまでやってきた「詩を読む会」を合体して、今後、「midnight poetry lounge」として、「詩を読む会」、講演会、朗読会などを開いていくことにしました。

 つきましては、midnight poetry lounge vol.9を下記のとおり開きます。

 

midnight poetry lounge vol.

「堀川正美を読む」 話・倉田良成

日時 225日(土)午後2時〜5

場所 ルノアール西日暮里第一店2号室 JR西日暮里駅下車。荒川区西日暮里5-23-6 電話03-3801-2230

会費 1000

定員制・要予約 070-5579-1564(中村)

        poetrylounge2010@gmail.com

                         (2012.1.23)

★お知らせ

「詩人の発言」を更新しました。

今回は、高橋英司氏の「詩を書く恥ずかしさ」です。                           (2012.1.23)

★お知らせ

「詩を読む会」第二回「斉藤茂吉の『赤光』を読む」のレポートをアップしました。

                      (2012.1.23)

★お知らせ

中村剛彦の「甦る詩人たち」を更新しました。 (2012.1.16)

★新刊のお知らせ

高橋英司氏の『詩集 ネクタイ男とマネキン女』を刊行しました。詳細は「新刊のお知らせ」をごらんください。

 1月24日(火)晴れ


時は滴り落ちる  ウィリアム・バトラー・イエイツ(井村君江訳)

 

「時」は燃えるローソクの

滴のように無くなっていく、

山々と森はその日々を持つ、

それぞれの日々を。

あなたがたは、どうぞ、

モミから生まれた森の

昔の軌道から、お願いです

外れていかないように。

 

 

 とても味わい深い詩だったので、ここに書き写しておく。

 

〈訃報〉

詩人の新井豊美さんが、121日午後4時、呼吸不全のため亡くなられました。

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

2012年1月22日      ミッドナイト・プレス 岡田幸文

 

1月18日(水)晴れ
 映画「フラガール」を見た。2006年公開の映画だが、2011年3月11日以後のいま見ると、この映画が含意する深い奥行が見えてくるようで、あらためて福島原発のことを思った。

  *

 これは「うまい詩」だとか「へたな詩」だとかいわれることがある。自分でもあまり深く考えもせずに、「うまい」とか「へた」とか言ってしまうことがある。だが、いつも考えるのは、「これは、いい詩」だと言うときの、「いい詩」とはなにかということである。かつて、吉本隆明氏に尋ねたところ、吉本さんは次のように答えられた。「たぶん、ふたつあって、ひとつは、イメージと意味の作用がうまく、強烈に融合してできている。もうひとつは、ことばの音韻と意味の作用が鮮明に融合してできている。どちらかに帰着してしまうんじゃないでしょうか」
 それに続いて、「ほんとうの詩、うその詩」ということについて尋ねると、吉本さんはおおよそ次のように答えられた。ひとつは、「詩とはなにかという問い」が内包されているもの。そして、「ことばのレベルのなかで、詩とはなにかという問い」が内包されているもの。それからもうひとつ、「ことばが関与しない、具体的な、現実的な世界に、ことばの世界を裸のままに置いたときに、詩とはなにかと考える契機。つまり、詩に関与しない外部の現実が抱いている、詩とはなにかという問い」が内包されているもの。「詩とはなにか」を考えようとしたら、この三つぐらいはちゃんと追いつめていかないとなかなか言えないのではないか。そのようなことを吉本さんは話された。
 これらの問いはいまなお現在進行形で迂生のアタマのなかを彷徨っているのだが、「いい詩」とは、「深い感銘を与えてくれる」詩であると、いまはとりあえず考えることにしている。

 「フラガール」は、いい映画だった。

1月9日(月・祝)晴れ

 チェット・ベイカーの映画を見て、辺見庸の「甘美な極悪、愛なき神性  新たなるチェット・ベイカー」を再読した。これは、およそ日本語で書かれた文章のなかでもかなり強力なもののひとつだろう。ことばを追いながら、思考はやがてチェット・ベイカーからことばへ、書くこととはなにかへと移っていた。

 ふと思いついて、あるいは意識的に、ノートにことばを書き始める。だが、次の瞬間には、そこに書きつらねられた文字を見て、オレはなんてばかなことをしているのだろうと絶望に襲われる。それでも手を動かしてなにかを書いてみる。それを通してしか、この絶望を超えるすべはないことを知りつつも、気がつくと手の動きはしだいににぶくなりはじめている。

 おそらく、チェットは、この種の「絶望」とは無縁であっただろう。彼は、ただなにものかを限りなく蕩尽するのみであった。

 詩は、蕩尽であるか。これは、いま思いついたことである。

 

1月5日(木)晴れ

 昨日、初仕事(?)で出かけた夜、チェット・ベイカーの映画『let’s get lost』のヴィデオを見る。ブルース・ウェーバーのドキュメンタルな映像は、先日見たマーティン・スコセッシの『ジョージ・ハリスン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』を思い出させた。登場人物の一人ひとりがチェットを愛している。これ以外の生き方などチェットにはできなかっただろう。この映画が作られたのは1988年。その前年、チェットは二度目の来日公演をしている。そのライヴレコードのジャケットには彼のサインが記されている。I don't know what to say,may be Thanks Chet 87.

  ブルース・ウェーバーが撮るジャンキー、チェット・ベイカーの顔はキース・リチャーズのようにしわだらけだけど、かっこいい。そして、かなしい。その年の5月、チェットはアムステルダムのホテルの窓から転落死する。享年59歳。1988322日、僕は東京ドームでミック・ジャガーを見ていた。その日は、ミッドナイト・プレスの創立日でもあった。

 

 明けて、今朝は久しぶりにエニグマのファーストアルバム「サッドネス」(原題「MCMXC a.D.」)を聴いた。ジャケットに引用されたウィリアム・ブレイクのことばをたしかめるようにして読む。

 The path of excess leads to the tower of wisdom.

 「過度という道こそ叡智の宮殿に通ずる。」(寿岳文章訳)

 

 

あけましておめでとうございます。

 

2012年が、みなさまにとってよい年でありますように。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

    2012年1月1日 ミッドナイト・プレス 岡田幸文

 

  *

 

新刊のお知らせ

高橋英司氏の『詩集 ネクタイ男とマネキン女』を刊行しました。詳細は「新刊のお知らせ」をごらんください。