岡田幸文の「聴無庵日乗」2018年

*お知らせ  2017年末までの「聴無庵日乗」は、「聴無庵日乗 アーカイヴ」(〜2017.12)に移動しました。

聴無庵日乗36(2018.5.20)

 詩とは、なにか? と、考える。これは定型思考というものであろう。いま気の向くままに詩を読んでいると、もはやこの定型思考が意味をなさないことに気がつく。気がつかざるをえない。定型思考に代わるものは断言である。

 

 峠  吉本隆明

 

いちまいの紙のやうに

訣れ難くあつた

決定的な決裂のあともなほ

 

心に蔵したつづらおりのやうな心理のため

ここは風のふかない峠であつた

 

 断言は、考えることをneglectすることだろうか。否。断言は、考えることを殺すのである。吉本隆明の「峠」という詩と向かい合ったのは一ヵ月ほど前のことであった。向かい合ったその日、その詩をコピーし、以来、毎日読んでいる。読むたびに、考えることが殺される。 

聴無庵日乗35(2018.5.1)

都わすれ

 「美しい五月」の始まりの一日。昨日は気分がひどく落ちこんでしまう一日となったが、ひとつの決意(?)を胸に秘めて、心機一転、今日を迎えた。いま片づけるべきことを片づけて、これから次へと渡りゆこうとするところで、このところ目の届くところに置いてある、久谷雉の「冬」という詩を読み返した。これは和田まさ子さんの個人誌「地上十センチ」第18号に掲載されたものだが、一読して、深い印象を覚えた。三連十六行の短い詩なので全行引用したい誘惑に駆られるが、とりあえず第一連三行だけ書き写してみる。

 

 一輪車に

 布をかぶせたまゝ

 冬をむかへた

 

 この三行を読んだだけで、いくつか書きたいことが思い浮かぶ。が、いまは、この「冬」を読んで思ったひとつのことを書きたい。詩に対する定型的批判のひとつに、詩は行分け散文にすぎない、というものがある。なるほど、そういわれてもしようがない「詩」がないわけではない。ところで、この「冬」という詩は各連が一文からなるものであるが、改行に対する意識は繊細にして鋭利なものである。例えば、第二連を「修繕しにくるといふ」という行で終え、第三連を「従姉妹たちだと/いふ」という行で終えるとき、そこではなにが行われているのだろうか。もとより、これは表記云々にとどまるべき次元のものではなく、この一篇の詩全体をあらしめているものを含意している。

 久谷雉の『影法師』について、「詩の新たな方位を提示している」と書いたことがあるが、久谷雉の詩はこれからどのように深められていくのだろう。

聴無庵日乗34(2018.4.18)

 411日付の朝日夕刊に掲載された、藤本哲明の「今夜、すべての自由と」という詩を時折り読み返している。その詩をはじめて読んだとき、これは、いま——〈情況〉と言い換えてもいいが——を生きている詩だと思った。その詩の上には國分功一郎の文章(それは、「「崩れる「文書の支配」 その先に政治の自殺」と題されていた」)が置かれていたが、國分功一郎の散文が含意するものと、藤本哲明の詩が含意するものとのあいだに、それほど異和はないと思われた。

 「今夜、すべての自由と」は、一見、滞りなく読める詩である。が、もとより、かんたんな詩ではない。一行一行、しっかりと読み込むことが求められている。それだけの魅力が秘められている。以下、思いつくままに記せば、抒情を唾棄しつつ抒情している、あるいは、叙事の無用を知りつつ叙事している、とでもいえばいいのだろうか。「否定する手、肯定する足」、あるいは、「あるいはワーク、あるいはゲッマニー」という対句が含意するものは、おそらく冒頭の「圧倒的なマクドナルド」という一行と照応しているだろう。ちなみに、この「ゲッマニー」とは、get moneyのことだろうか。この「ゲッマニー」という文字あるいは音は、そのとき、遠く、「ゲッセマネ」という文字あるいは音を引きだしてくる……ような気がした。引きだしたのは、そのとき僕が抱いていた想念だろうか。それはともかく、この詩は、読む者を、遠くに、あるいは近くにと、運んでいくようだ。

 そしていま、昨年暮に入手した藤本哲明の『ディオニソスの居場所』という詩集を読み返している。いま詩がどのような場所を生きているのか、さらに考えていきたい。

聴無庵日乗33(2018.4.8)

 昔の「ユリイカ」をぱらぱらと繰っていたら、大岡信のことばが目に飛びこんできた。それは、「折々のうた」について書かれたものであった。

 「コラムの短文を書くこと自体は苦痛でも何でもない。それで何とか続けられたわけだが、大変なのは詩句の選択そのものだった。なぜ大変かといえば、私なりにそれらの配列には苦心しないでもなかったからだ。

 どの詩句も、単独にそこに突立っているだけではなく、前後の詩句との間に、何らかの理由においてひそかに連絡しあっているものでなければならなかった。そういう風に私が考えたのは、そもそも詩というものがそういうものなんだという思想による。……」

 どうしてそのことばが目に入ってきたかといえば、その少し前に、二冊の詩集を前にして、詩について考えていたからだ。ひとつは今井義行の『Meeting Of The Soul(たましい、し、あわせ)』、いまひとつは愛敬浩一の『それは阿Qだと石毛拓郎が言う』。この二冊の詩集は、いずれも冒頭に置かれた詩篇が疑問文で始まっている。

 

 今井義行の「汚れた言葉の綺麗ごと」はこのように始まる。

 

 手垢にまみれた「愛」「平和」

 そんな言葉はまだ

 世界にさらされていてよいのか

 

 愛敬浩一の「私史」はこのように始まる。

 

 教えてくれ カクさん

 なぜ 少年時代が終わるのか

 なぜ 世界は天候のように激しく変化して行くのか

 

  疑問文で始まる詩は、調べたことはないけれども、ほかにも少なからずあるだろう。気になったのは、「さらされていてよいのか」、あるいは「なぜ……終わるのか」という、切迫的な調子である。この調子が含意するのはcrisisではないだろうか。この後、詩行がどのように運ばれていくのか気になるところだが、今井が「さらされてよいのか」の直後に「はい よいのです」と書くのに対して、愛敬は「なぜ 少年時代が終わるのか/なぜ 世界は天候のように激しく変化して行くのか」を三回繰り返す。いずれも長い詩なので全行を引くことはできないが、「ときを費やしこころみる/それが わたしたちが/誕生した理由の1つではないか」という今井の最終連と、「失恋の果てに/送電線に触れたのだという/カクさんの見た/絶望を教えてくれ」という愛敬の最終行とを読み終えたとき、この二篇の詩のあいだを「連絡しあっているもの」が仄見えてくるような気がした。それがなんであるのか、もとより一言で言い尽くせるものではないが、それは「詩」としか言いようのないものであることだけは了解できた。

 

聴無庵日乗32(2018.3.21)

いただいたステンドグラスのおひなさま

  「聴無庵日乗」31を書いてから一ヵ月が過ぎた。「聴無庵日乗」32を書こうという気持ちはあったのだが、いくつか出来事があって、ディスプレイに向かうことができなかった。また、八木重吉の次にくる詩について、何度か読んだが、その詩について語ることばがどうしても浮かんでこなかった。……などなどの事情から、ここは心機一転、これからは、いま僕が惹かれる詩をアトランダムに読んでいくことにした。第一回は、陶淵明の「飲酒」五である。

 

 飲酒 其五  陶淵明

 

結廬在人境  (いおり)を結んで人境に在り、

而無車馬喧  (しか)も車馬の(かまびす)しき無し。

問君何能爾  君に問う 何ぞ()(しか)ると、

心遠地自偏  心遠ければ地(おのず)から(へん)なり。

採菊東籬下  菊を採る 東籬(とうり)(もと)

悠然見南山  悠然として南山を見る。

山気日夕佳  山気 日夕(につせき)()し、

飛鳥相與還  飛鳥(ひちよう) 相与(あいとも)に還る。

此中有眞意  此の中に真意あり、

欲辨已忘言  (べん)ぜんと欲して(すで)に言を忘る。

 

 これまでの流れを断つかのように、いきなり陶淵明というのは、しかし奇をてらってのことではない。僕のなかでは、これまでの流れからおのずとたどりついた場所であるのだが、いまはその経緯についてはふれず、この詩において僕が惹かれたふたつのポイントについて記したい。

 ひとつは、「結廬在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏」という四句。松枝茂夫は、これを「さわがしい人里に廬を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。「どうしてそんなことがあり得るのだ」と言う人があるかも知れぬ。なあに、心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と辺鄙な地に変わってしまうのだ」と訳している。この四句を目にしてすぐに想起するのは「大隠朝市(たいいんちようし)」ということばであるが、今日は維摩経の一節を思い出した。すなわち、シャーリプトラ(舎利弗)が木の下で坐禅しているとき、ヴィマラキールティ(維摩詰)がシャーリプトラに云った「シャーリプトラよ、あなたがやっているようなやり方で坐禅の修行をすべきものではありません」「輪廻に属する煩悩を断たないままで、しかも涅槃に入ることにもなる、というように坐禅しなさい」ということばである。もとより、陶淵明の詩句が含意しているものとヴィマラキールティのことばが含意しているものとがまったく同じものであるということはできないが、ここにはなおひとつの「真実」が提示されていると思う。それを聖徳太子のことばで云えば、「好んで静処に坐禅するのは、ほんとうの安らかな生活ではない」ということになる。それをさらに自分流に敷衍すれば、詩は「人境」において生まれる、ということになるだろうか。

 もうひとつは、「此中有眞意 欲辨已忘言」という最後の二句。松枝は、これを「この自然のなかにこそ、人間のありうべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようとしたとたん、言葉などもう忘れてしまった」と訳している。「欲辨已忘言」。ここに、詩の要諦がある。

 詩について近頃考えていることと、この陶淵明の詩句とがシンクロしていたので、この「飲酒 其五」を引いてみた。これからは、こういうゆるい感じで、この日乗を書いていこうと思う。

聴無庵日乗31

広隆寺の蓮池

 百田宗治の次にくるのは、八木重吉の詩、「母をおもふ」「母」「母の瞳」「父」「人形」の五篇である。八木重吉については、かつて、ミッドナイト・プレスHPの「編集者の手帖」で次のように書いたことがある。  

 

  *

 

2013113日(日)

 昨日は、「山羊散歩」第二回の取材ということで、八木幹夫さん、郷土史家の田中次雄さん、水島英巳さん、それに中村、岡田の5名で、八木重吉ゆかりの場所を散歩した。その詳細は、31日発行予定のmidnight press WEB第5号に掲載されるので、以下、散歩しながら思ったことを記したい。

 八木重吉が生まれ育った土地を散歩しながらあらためて思ったことは、重吉の平明なことばの背後にはたくさんの葛藤が秘められていたに違いないということであった。重吉の詩のことばの力がどこからやってくるのかと考えるとき、それはひっきょう、生きることのかなしみとしか云いようがないものからであろうと思われた。重吉の子供たちの書は立派なもので、それだけでも見る者に感慨を催させるが、それを通して迫ってくる八木重吉の生のありように思いをいたした。「生きることのかなしみ」などと書くと、よくある人生詩や抒情詩ととられるおそれがあるので、ここは注意深く書かなくてはならないところだが、思想詩人としての八木重吉がもっと語られていいと思った。もとより、それをさらに解明するには、重吉の詩と深く向かい合うことがもとめられるだろう。

 田中さんの先導で、重吉ゆかりの場所を散歩することができたが、詩碑のひとつに次のような詩が記されていた。

 

  ねがい  八木重吉  

 

人と人とのあいだを

美しくみよう

わたしと人とのあいだを

うつくしくみよう

疲れてはならない

 

  この、ことばのアクロバットのような業(わざ)を統べるものは、修辞ではなく、理念にかかわるものであろう。このことばを読んでいると、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治のことばが思い出される。

 そしてあらためて重吉の「聖書」という詩を読むとき、これは彼の詩論ではないかと思われてくる。

 

 この聖書(よいほん)のことばを

 うちがわからみいりたいものだ

 ひとつひとつのことばを

 わたしのからだの手や足や

 鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ

 ことばのうちがわへはいりこみたい

 

  *

 

 いま、この文章に加えるものはない。上記五篇のなかから一篇を選ぶとしたら、次の一篇である。

 

 母をおもふ  八木重吉

 

けしきが

あかるくなつてきた

母をつれて

てくてくあるきたくなつた

母はきつと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう

 

 この詩は、詩集『貧しき信徒』に収められている。この詩集は、重吉が死んだ翌年(1928年)に出版された。著者が自選したと思われる百余篇の詩は、結核を発病して神奈川県茅ヶ崎の南湖院に入院していた時期に書かれたものと思われる。つまり、この詩は、故郷にいる母への思いを歌ったものだが、最後の「重吉よ重吉よ」ということばは、〈神〉の声であるようだ。(2018.2.17

聴無庵日乗30

浅草寺から見たスカイツリー

 草野心平の次にくるのは、百田宗治 の、「怒っている海」「にれの町」「夕やけの雲の下に」「光」「味噌汁」の五篇である。

 いま百田宗治の名前を知っている人がどれほどいるか知らないが、百田宗治といえば、民衆詩派の詩人のひとりとして語られることが多い。けれども、この詩人はそうかんたんにはくくれない奥行きをもっているようだ。室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』は、我が愛する書物のひとつだが、「百田宗治と酒場で遊んでいて、私が女の人の美所美点を見付けて何か言っても、百田は決して同調しないで、それは君の好みなんだよ、と、いつも素気なく突っぱねていた。」と始まる百田宗治論(?)は味わい深い一篇である。その文章によって、民衆詩派の詩人としてだけでは語れない百田宗治を知るのだが、それとは別に、もうひとつ百田宗治について考えさせるものがある。2014年にミッドナイト・プレスから刊行された八木幹夫さんの『渡し場にしゃがむ女 詩人西脇順三郎の魅力』という本の一節に次のような箇所がある。

 

 「昭和十年頃に、西脇さんは百田宗治に誘われ、西村月杖の主宰する月例句会「句帖」に萩原朔太郎、室生犀星と共に参加しています。」

 

 西脇順三郎と百田宗治! この意外な(?)組み合わせに一瞬驚かされるが、これは意外なことではないようだ。いま僕は西脇と百田が並んで写っている写真を眺めている。当時の百田宗治について、室生犀星は次のように書いている。「『椎の木』という詩の雑誌を出していた大正十五年終わりには、伊藤整、丸山薫、三好達治、北川冬彦、金子光晴、春山行夫、乾直恵、小村定吉等が綺羅星のごとく執筆してい」て、「この若いサムライ達は」「百田の若い周囲であり背景であった」という。「椎の木」は、1926年に百田宗治によって創刊された詩誌だが、俳句的なものから、エスプリヌーヴォー、さらにはモダニズムと、幅広くカヴァーされていたようだ。おそらく西脇順三郎もその周囲のひとりであったのだろう、彼の『Ambarvalia』が椎の木社から出版されたのは、1933年(昭和8年)であった。

 『あの頃、あの詩を』に紹介されている上記の詩は、いずれも百田宗治の代表作とはいえないが(百田宗治は児童文学者でもあった)、ここでは「怒っている海」を取り上げる。

 

 怒っている海  百田宗治

 

ある日、ぼくは海を見に行った。

海はひどく怒って、

ぼくをめがけて白い大きな波をたたきこんだ。

波はぼくよりも背が高かった。

しぶきがぼくの顔や肩にかかった。

ぼくは怒っている海のしぶきのなかで、

しばらくじっとようすを見ていた。

海の怒りは、遠い灰色にくもった沖のほうからはじまり、

今にもこの陸地を呑みこんでしまいそうだ。

小舟が一そう波のあいだにもまれていて、

とおい半島のさきに白い燈台が見えた。

あのなかに人がいて仕事をしているのだなとおもうと、

ぼくは海にまけない人間の力を感じた。

怒れ、怒れ。

腹のすむまで怒れ。

ぼくは海にむかってそう言った。

ぼくは海にまけない人間になって

海から帰った。

ぼくをおっかけるように

海がまだ松ばやしのなかでがなっていた。

 

                     (2018.1.31)

聴無庵日乗29

 河合酔茗の次にくるのは、草野心平である。三篇紹介されているが、ここは、この詩であろう(あとの二篇は、「天のひしゃく」「牧場の秋」)。

 

 富士山  草野心平

 

川面(づら)に春の光はまぶしく溢れ。そよ風が吹けば光りたちの鬼ごつこ葦の葉のささやき。行行子(よしきり)は鳴く。行行子の舌にも春のひかり。

 

土堤の下のうまごやしの原に。

自分の顔は両掌(て)のなかに。

ふりそそぐ春の光りに却つて物憂く。

眺めてゐた。

 

少女たちはうまごやしの花を摘んでは巧みな手さばきで花環をつくる。それをなはにして縄跳びをする。花環が円を描くとそのなかに富士がはひる。その度に富士は近づき。とほくに坐る。

 

耳には行行子。

頰にはひかり。

 

 草野心平は、よくわからない詩人のひとりである。理由は単純で、まだその全貌をつかんでいないからである。心平といえば、蛙、そして富士山の詩人ということになるようだが、とてもそれだけでは収まらない印象がある。上掲の「富士山」にしても、26篇の連作からなる詩集『富士山』に収録された一篇(「作品第肆」)であって、この一篇だけで草野心平の「富士山」を語ることはできないのだが、それを承知の上で、「富士山とはなんぞや?」と尋ねれば、詩人は答えるだろう。曰く、「富士山の詩を私は永いあひだ書いてきたやうに思ふが、もともと富士山などといふものは天を背景にしなければ存在しない」と。そのことばをたよりに、この「富士山」(「作品第肆」)を読むと、ここでも「夢みるわたくしの。/富士の祭典。」(「作品第壹」)が繰り広げられている。春の光りのなか、行行子が鳴き、少女たちの縄跳びが円を描くとき、「そのなかに富士がはひる。その度に富士は近づき。とほくに坐る。」。富士は生きているのだ。(2018.1.14

聴無庵日乗28

若松七本活け

 2018年が明けた。

 変わらず『あの頃、あの詩を』に収録された詩を読み継いでいくわけだが、今年は、それに日常的な(?)記述を交えていこうと思う。

 今日は熊野神社に初詣。この神社について詳しいことは知らないのだが、鳥居をくぐって拝殿に向かって歩み始めると、この神社が経てきた時間の密度のようなものが伝わってくる。

 この数日、よく聴いているのは、ダラー・ブランドの「アフリカン・ピアノ」。そのCDの横には、藤本哲明の『ディオニソスの居場所』が置かれている。(2018.1.9)