岡田幸文の「聴無庵日乗」

聴無庵日乗12

夏ハゼとカーネーション

 青空  城左門

 

 よく晴れた空だなあ

 どこにも雲一つない

 高く 高く

 広く 広く

 限りなく ああ 大きな青空!

 

 そうだ こういう世界があったのだ

 一つも曇りのない

 明かるい 高い

 美しい 広々とした

 限りなく ああ 大きな世界が……

 

 よく晴れた空だなあ

 どこにも雲一つない

 自分が小さくなる

 そして 大きくなる!

 限りなく ああ 大きな青空

 

 草野天平の「秋」とともに取り上げた城左門の「青空」をあらためて読んでみよう。草野天平の「さうか/これが秋なのか」を認識のことばと云うならば、城左門の「そうだ こういう世界があったのだ」は発見のことばと云うことができるだろう。ただ、この「発見」は、単純なそれではない。この詩のポイントは、「自分が小さくなる/そして 大きくなる!」の二行にあると思う。つまり、「限りなく」「大きな青空」と対峙したとき、青空と隔絶したおのれの「小ささ」に気がつくと同時に、青空と一体化している「大きい」おのれに気がつく。これは実際に大地を背にして、目の前の青空を見上げたことがある者ならば、だれにも覚えがあることだろう。この発見が、「そうだ こういう世界があったのだ」ということばを生んだのだ。

 ところで、『あの頃、あの詩を』には、「青空」のほかにも、「朝」とか「太陽」「春」など、明るい希望を象徴したことばがよく出てくる。この「明るい希望」が失われたとき、その「共同幻想」の表現である詩も過去の遺物となったのではないか、と編者の鹿島茂氏は「あとがき」で書いている。それはいつごろのことであったかと考えると、一九八〇年代中盤から一九八〇年代末にかけてのことがあらためて思い返されるのであるが、これはいまだから云えることであり、当時はなにも考えずにただ流されるままに生きていたというのが現実だろう。そのあたりも意識しつつ、さらに詩を読んでいきたいと思う。(2017.6.21)

聴無庵日乗11

 中桐雅夫訳による、オーデンの「一九三九年九月一日」という詩を読んでいたら、訳稿が二種類あることに気がついた。長い詩なので、冒頭の5行だけ書き写してみる。

 

 ぼくは五十二番街の安酒場にすわっていた、

 確信もなく

 心配しながら、

 低劣で不正な十年間のために

 人のいい希望も消えているから。

       (1967年刊、『詩の本』Ⅲ(筑摩書房)から)

 

 五十二番街の、とある安酒場、

 そこにすわっているぼくは

 低劣で不正直な十年間が

 不安で心配で、

 人のいい希望も消えていくのだ。 

       (1969年刊、世界詩人全集19(新潮社)から)

 

 ところで、僕がこの訳詩を読んでいたのは、訳し方の違いが気になったからではない。「人のいい希望」とはなんだろうと考えていたのだ。原詩にあたってみると、As the clever hopes expireという一行があった。the clever hopes、すなわち「人のいい希望」か……。

 しかし、冒頭の、I sit in one of the divesOn Fifty-second Streetという二行を、「ぼくは五十二番街の安酒場にすわっていた、」と訳すか、「五十二番街の、とある安酒場、/そこにすわっているぼくは」と訳すか、ということについても気にならないことはない。

 そのとき僕の念頭にあったのは、中桐雅夫の次のことばであった。「外国の詩を読む場合、原語で読むか、邦訳で読むかという問題がある。もちろん、原語で読めるに越したことはないが、原語でなければいけないというのは極端である。(略)わたしはあらゆる外国の詩について、邦訳がないより、あった方がず  っと、わが国の詩人および一般読者に、いろいろな点で有益であると信じている」。中桐雅夫が、オーデンの「一九三九年九月一日」の訳詩を最初に試みたのはいつであったのかわからないが、そのとき、「一九三九年九月一日」を書いたオーデンと「一九三九年九月一日」を訳す自分とを重ねながら、どのように訳すか考えていたにちがいない。この冒頭の5行を読んだだけで、そのときの訳者(詩人)の息遣いが聞こえてくる。そして、ここにはたしかに詩への入口がある。そう思われた。

 

 これからしばらく、『あの頃、あの詩を』(鹿島茂編)に掲載された詩を読みながら書いていくことにしたのだが、それだけでは一本調子になるので、時々息抜きをしながら書き継いでいこうと思った。そして今回は、このところ中桐雅夫の詩や訳詩、散文(「lost generationの告白」など)を読んでいたので、こんな文章になった。(2017.6.15   

聴無庵日乗10

野に咲く花々(クリックすると拡大されます)

(承前)

 

 秋  草野天平

 

さうか

これが秋なのか

だれもゐない寺の庭に

銀杏の葉は散つてゐる

 

 この詩を読んで思いだされるのは、室生犀星の「春の寺」と、藤原敏行の歌である。犀星の詩については、いまは措くとして(といっても、この詩を読むと、どうしても犀星の詩が思いだされる。そのとき思うのは春や秋のことではなくて、「寺」のことであるのだが)、藤原敏行の「あききぬとめにはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる」はよく知られた歌なので、いまさら云うことはなにもないのだが、この歌の要諦が驚きにあるとすれば、草野天平のそれは認識にあるといえるだろう。

 「昔、東洋と西洋は、或ひは一つのものだつたかも知れない。恐らくはさういふものだつたやうな気がする。この分裂は本当は詩ではないのだ。肉体と精神が別々になるといふことは成長の過程であつて、誰一人文句をいふことは出来ないが、然しこの矛盾は決していい気持ちのものではなく、いい気持ちでないからこそ詩ではないのだ。」(草野天平)

 天平が詩をどのように考えていたか、見えてくるようなことばだ。

「だれもゐない寺の庭に/銀杏の葉は散つてゐる」のを見たとき、詩人は、秋のなんたるかを認識したのだ。「さうか/これが秋なのか」。それは、例えば「凋落」という一語で片づけられるものではなかっただろう。つまり、そのとき、「詩人は何時もかうして天上と地上とそして人間世界を観、確かに立ちながら、全体を一にし、この一を完全な相とする為に歩」いていたのだ。                    (2017.5.30)

聴無庵日乗09

Sさんからの贈り物であるメガネケース

 どこから始めるか。——思えば、「詩の雑誌midnight press」の休刊以来、考えてきたことはけっきょくそういうことであった。そして、ようやく、やっと、それが見えてきたような気がする。それはなにか。かんたんに云えば、原点に返るということに尽きるだろう。だが、それはいかに、ということになれば、かんたんではなくなる。数日前、そういえばと、いつものように本棚を探し始めて、鹿島茂編『あの頃、あの詩を』という本を取り出して読み始めた。これは、編者によれば、「広い意味での団塊の世代(昭和二〇年から昭和二六年生まれ)が中学校時代の三年間に国語教科書で読んだ詩を集大成したアンソロジー」であるという。そして、「軽井沢のホテルに三日三晩籠もって、」「詩を片端から読ん」だ結果、「団塊の世代が教科書で読んだ詩は、とりわけ中学校の教科書の詩は、(教科書の)編者によって特殊なドライブがかかっていることが」わかった。「そのドライブは、ある種の「時代精神」(ツァイト・ガイスト)」のなせるわざ」であり、「つまり、昭和三〇年代という「未来への希望に輝いていた」時代のツァイト・ガイストが生のままで保存されているような気がした」と鹿島茂氏は書いている。上に引用した鹿島茂氏のことばは、「どこから始めるか」と考えていた迂生の気分にシンクロした。つまりそれは、私にとって、詩とはなんであったかを考えること、それはすなわち詩が「希望」でありえた時代について考えるということでもあるのだが、詩の現在の先に行こうとするならば避けては通れない道であると思われたのである。そして、そのとき、通俗に分け入ることも辞さないことが要求されるだろう。この「通俗」については、おいおいと明らかにされていくだろうから、いまは措く。とにかく始めてみよう。

 もとより、どこから始めてもいいのだが、『あの頃、あの詩を』というアンソロジーの229ページには次のような詩が置かれている。

 

 秋  草野天平

 

さうか

これが秋なのか

だれもゐない寺の庭に

銀杏の葉は散つてゐる

 

 ひとは、この詩を読んで、どんなことを思うだろう。

 この「秋」が置かれたページの少し前に、城左門の「青空」という詩が置かれていた。

 

  青空  城左門

 

 よく晴れた空だなあ

 どこにも雲一つない

 高く 高く

 広く 広く

 限りなく ああ 大きな青空!

 

 そうだ こういう世界があったのだ

 一つも曇りのない

 明かるい 高い

 美しい 広々とした

 限りなく ああ 大きな世界が……

 

 よく晴れた空だなあ

 どこにも雲一つない

 自分が小さくなる

 そして 大きくなる!

 限りなく ああ 大きな青空

 

 この二篇の詩に立ち止まったのは、いうまでもなく、「さうか/これが秋なのか」「そうだ こういう世界があったのだ」という措辞に惹かれたからにほかならない。(この項、つづく)                    (2017.5.22

 

聴無庵日乗08

 このところ、ソニー・クラークのSONNY CLARK TRIOをよく聴いている。冒頭のBE-BOPの胸のすくような演奏がすばらしく、繰り返し聴いてあきない。そして5曲目のSOFTLY AS IN A MORNING SUNRISEの完璧。ソニー・クラークのピアノ、ポール・チェンバーズのベース、フィリー・ジョー・ジョーンズのドラムスの三位一体のプレイを聴いていると、もうことばはいらなくなる。

 今日はソニー・クラークを聴きながら、小野十三郎の『詩論+続詩論+想像力』を読んでいた。この『詩論』は、著者によれば、「戦争中のつれづれに読んだ本をめぐるわたしのノートを無秩序、無整理のままに放りだしたようなもの」らしいが、著者の思考の跡を読むことができるもので、吉本隆明の「詩とはなにか」、谷川俊太郎の「詩人とコスモス」などとともに、いつでも手に取れるところに置いている。よく知られている「歌と逆に歌に」ということばは、詩論98に現われるが、そこでは「歌と逆に。歌に。」と記されている。これが本来の表記であったのだろうか。「逆に」の後に置かれた句点に、安易な連帯にはなびかないという著者の強靭な精神が感じられる。今日は、詩論181が迂生の目をとらえた。

 「詩についての小感——「詩を求める心が精神の弛緩を意味している。それにも拘らず精神の昂揚という外観を示している。」(金子光晴)」

                       (2017.5.3

聴無庵日乗07

 このたび中村剛彦が体調ほかの諸事情で副編集長を退くことになった。これまでミッドナイト・プレスのホームページの制作をはじめとして諸活動に尽力してきてくれた中村が去ることは残念だが、これからについて考えるところがあったのだろう。井上輝夫さんがいなければ、中村剛彦とも出会うことはなかったことを考えると、いろいろと思うところはあるが、いまはお互い前を向いていきたい。中村さん、ありがとうございました。このところ中村さんは身体の不調が続きましたが、くれぐれもお身体をお大事にされますように。まあ、これからも池袋で、あるいは横浜で、時々は酒を飲みましょう。

 という次第で、これからは迂生がホームページを運営することになった。幸い、迂生でもなんとか自力で運営できるようなシステムを中村がつくってくれたので、これから少しずつ勉強してホームページを活性化していきたいと思う。

 それにしても、この真っ白なトップページはいい。すぐに思い出したのは、ビートルズの通称“ホワイトアルバム”(公式のタイトルは“The Beatles”)のジャケットである。真っ白な地にThe Beatlesというタイトルが空押しされていたジャケットは新鮮かつ意味深であった。このアルバムが、ビートルズのディスコグラフィーにおいてどのように評価されているのか知らないが、肯定的な評価はあまり聞いたことがないような気がする。いま久しぶりにターンテーブルにのせたが、冒頭のBack in the U.S.S.R.からイカしていて、あれこれしゃべりたくなる。それはともかく、数日前、岩波の「図書」を読んでいたら、「今、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは訳詩をいっさい認めないのだそうだ」と池澤夏樹が書いていた。その真相は知るべくもないが、「ウクライナの女の子たちにはまいったよ/西洋なんてお呼びじゃないのさ/モスクワの女の子たちときたら/「わが心のジョージア」を大声で歌わせるのさ」なんてあたりは、チャック・ベリーを思い出させる。ジョンいわく、「全部ポールのさ。ぼくはこの曲で6弦ベースを弾いている」。Rubber SoulからRevolverSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Bandと聴いてくれば、この“ホワイトアルバム”の理由もわかろうというものだ。

 この真っ白なトップページをクリックすると、空を飛ぶ孤鳥の姿が目に沁みる。思い出すのは、かの牧水のうたか。

 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

                      (2017.4.29)

聴無庵日乗06

 Mr.Sことスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが221日亡くなった。享年93歳。昨日、今日と、FMで追悼番組を聴いたが、今朝聴いたショスタコーヴィチの第五交響曲第二楽章は、ショスタコーヴィチと向かい合う若き日のスクロヴァチェフスキのテンションがリアルに伝わってくる演奏だった。いまでもザールブリュッケン放送交響楽団とのベートーヴェン第一交響曲を時々聴くことがある。聴くたびに、ベートーヴェンを再発見する。そんな演奏だ。

 

 

 詩の〈現在〉は、いま、ここにはない。そう考えることで、前に進めることもあるだろう。

 

 

偶成  ポオル・ヴェルレヱン(永井荷風訳)

 

空は屋根のかなたに

  かくも静かに かくも青し。

樹は屋根のかなたに

  青き葉をゆする。

 

打仰ぐ空高く御寺の鐘は

  やはらかに鳴る。

打仰ぐ樹の上に鳥は

  かなしく歌ふ。

 

あゝ神よ。質朴なる人生は 

  かしこなりけり。

かの平和なる物のひびきは

  街より来る。

 

君、過ぎし日に 何をかなせし。

  君今こゝに唯だ嘆く。

語れや、君。そも若き折

  なにをかなせし。

 

                       (2017.3.5)

聴無庵日乗05

極楽鳥花、サンシュ、クロメヤナギ、雪柳、アレカヤシ、ネコヤナギ

 詩について、書こうとすると、詩それ自体から遠ざかっていく。いま、詩についてよく考えるのは、送られてきた詩誌や詩集を読んでいるときだと思う。目の前に具体的に詩があるので、逃げる(?)ことができない。上昇と下降の像が交錯するとき、詩それ自体と相対している。

 

 

蜂  ポール・ヴァレリイ(堀口大學訳)

 

褐色(かちいろ)の蜂よ、汝(な)が針

かくも鋭く、かくも毒あるも

わが胸の美しき花籠を

われは思ひのダンテルをもて被ひたるのみ。

 

その上に「戀」の來て死にまた眠る

美しき瓢(ひさご)に似たる乳房をば刺せよ、蜂、

かくて紅(くれなゐ)のわれをして。いささかは、

圓(まろ)みある反(そむ)きがちなる肉の面(おもて)に滲(にじ)ましめよ!

 

われは速(すみやか)なる苦痛を希ふ

あらはに激しき痛み

故知らぬ悩みよりは堪へやすし!

 

わが感覚よ、痛ましきこの金色(こんじき)の針により

汝(なんじ)目さめてあれ、これなくば

戀は死に、戀は眠らんに!

 

                    (2017.2.15

聴無庵日乗04

サンシュ、雪柳、アルストロメリア

 このところ、よく散歩している。というか、一週間ほど前、思いたって、毎日散歩するようにした。歩いていると、一日一日、日が長くなっていくのが実感される。このところ、「古事記」を読んでいる。意味がとりやすいのでつい翻訳を読んでしまうが、やはり原文で読まないと真実はつかめないだろうということで、原文と翻訳とを交互に読みながらの、遅々たる時間である。読んでいるとき、アタマをよぎっていくのは、〈起源〉へのノスタルジーであろうか。

 

 まだよまぬ詩おほしと霜にめざめけり  田中裕明

 

                       (2017.2.6)

聴無庵日乗03

2017年1月12日、富士宮

 正月も十日を過ぎれば、いや、過ぎなくても、いつもと変わらぬ時間のなかにいるのだが、それでもこの一月は、昨年秋からの生活の変化とあいまって、なにやら新しい、未体験の時間を生き始めたような実感を覚えている。

 ところで、年が明けてから、「3.11以後……」と始まる文章をいくつか目にした。2011311日から6年が経つが、次第にボディブロウのようなものがきているのかもしれない。最近は書店の人文書コーナーに行っても、買ってみたいという気持ちにさせる本が少ない。いま読んでおもしろいのは小説である。きっかけは、野上弥生子の『秀吉と利休』であった。小説とはなにか。文学とはなにか。それはけっきょく人間とはなにかを考えることであった。

 数日前、ふとしたことから、本棚にあった村上龍の『空港にて』という短編集を手にとった。村上龍の短編小説はどれもおもしろいが、この『空港にて』も、小説家・村上龍の力量が遺憾なく発揮されていた。

 村上龍は、その「あとがき」で書いている。「社会の絶望や退廃を描くことは、今や非常に簡単だ。ありとあらゆる場所に絶望と退廃があふれかえっている。強力に近代化が推し進められていたころは、そのネガティブな側面を描くことが文学の使命だった。(略)近代化が終焉して久しい時代に、そんな手法とテーマの小説はもう必要ではない」

 もとより、これは近代文学史の一面を、作家である村上龍が2003年当時に語ったものであり、いまの僕の問題意識と直接重なるところはあまりないのだが、いま詩が直面しているものと小説のそれとが、どのように同じで、どのように違うのか、考えるべきことはまだあると思わせた。

 

 この「聴無庵日乗」を再開するに際して、「気の向くままに、一篇の詩を書き写していきたいと思う」と書いたが、日記(?)を書きながら「気の向くままに」一篇の詩を引用することなど、かんたんにできることではないと、すぐに気がつくべきであったと反省している。

 

 他の者に、魂について語ろうとすれば

 天使の舌が必要になる。しかしそうしようと思っても、

 ただ言葉の貧困を感じるだけだ。

 神聖な事柄を卑小な言葉で語り、

 そうすることで卑小なものにしてしまうことに

 おそれおののく。語ることが罪を犯すことになる。

   (ヘーゲル「エレウシス——ヘルダーリンへ」(高橋巖訳)より)

 

                                                  (2017.1.16

聴無庵日乗02

若松、行李柳、蠟梅、ドラセナなど

 生活の変化で、これまでのように電車で長編小説の類を読むことができなくなった。これからはそのときそのときに応じて読むしかないだろうということで、昨夜バッグに入れたのは、斎藤茂吉の『万葉秀歌』と『芥川龍之介全集』。芥川は、昭和29年に岩波書店から出版された、表紙が布クロスの新書判全集。これまで何度か読んできたが、次から次へと忘れていくので、読み返すたびに新たな発見がある。

 と、こういう雑文めいたものも時折交えて書いていこうかと思う。

 

 

戲れに(1)  芥川龍之介

 

汝と住むべくは下町の

水どろは靑き溝づたひ

汝が洗湯の往き来には

晝もなきづる蚊を聞かん

 

戲れに(2)

 

汝と住むべくは下町の

晝は寂しき露路の奥

古簾垂れたる窓の上に

鉢の雁皮も花さかむ

 

                      (2017.1.4

あけましておめでとうございます。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2017年1月1日       ミッドナイト・プレス 岡田幸文

聴無庵日乗01

 いま、詩について書こうとしたら、どこから始めたらいいのだろう。かつて詩の入門書の類が書店に並べられていた時代があったが、いまは、そのような入門書も見られなくなったし、そもそも、いま詩の「入門」書が求められているのかどうかもはなはだあやしいところである。

 先ほどまで、僕は詩を書いていた。いや、詩を書こうとしていた。だが、そのときすでに、僕は途方に暮れていた。その、途方に暮れていることが、この文章を書くことを駆動させているのかもしれない。

 詩とはなんだろう? この問いを措いて、いまの僕には、ほかに惹かれるものはない。「まさに詩だけが、人間を回復できるのだ。」(ジュゼッペ・ウンガレッティ)

 ところで、いま詩はどのように語られているのだろう。思いついて書店の詩書コーナーをのぞいても、自分が知りたいことについて書かれた本をみつけることはむずかしい。また、最近はどんな詩集が出ているのかと書評記事など読むが、これがどうにもおもしろくない。取り上げられている作品よりも、それを取り上げている書き手(「詩人」)のほうが前面に出てきているからだ。そこに、「詩の現在」はない。あるのは、「詩人(たち)の現在」ばかりだ。

 詩とはなにか? それを徹底的に考えていかなくてはならないと思った。そのとき、なにを材料にすればいいのだろう。いかなる材料にもたよらず、独力で考え抜くという道もあるかもしれない。だが、それは僕の能力を超えている。やはり、なにかひとつとっかかりのようなものがほしい。そのとき、いま書かれている詩を材料にすることはむずかしいと思われた。詩とはなにかと考えるとき、対峙すべき「詩の現在」はそこにはないと思われた。「詩の現在」とはなにか。もとより、それは詩の現状を云うのではない。一篇の詩が不可避的に包含せざるをえない桎梏葛藤のありようを云うのである。そして、それを探るには、これまでどのように詩が書かれてきたのか、その一篇一篇をあらためて読み直していくしかない。そう思ったのは、最近刊行された、池澤夏樹編『日本文学全集』第29巻「近現代詩歌」で、池澤夏樹選による「詩」のアンソロジーを読んでいたとき、詩の歴史とはいったいなんなのか、とあらためて考えさせられたからである。これから書き継いでいこうと思っているのは、そのあたりのことである。日本の近現代詩がどこから始まったのか、もう一度よく考えてみたい。そこに、詩とはなにかを解く鍵が秘められているような気がしている。

 

 「聴無庵日乗」——この慣れ親しんだタイトルでまた書いていくことにした。それとともに、気の向くままに、一篇の詩を書き写していきたいと思う。第一回は中原中也の「寒い夜の自我像」にした。

 

 

寒い夜の自我像  中原中也

 

きらびやかでもないけれど

この一本の手綱をはなさず

この陰暗の地域を過ぎる!

その志明らかなれば

冬の夜を我は嘆かず

人々の憔懆のみの愁しみや

憧れに引廻される女等の鼻唄を

わが瑣細なる罰と感じ

そが、わが皮膚を刺すにまかす。

 

蹌踉めくままに静もりを保ち、

聊かは儀文めいた心地をもつて

われはわが怠惰を諫める

寒月の下を往きながら。

 

陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、

わが魂の願ふことであつた!

 

                     (2016.12.25)