編集者の手帖ファイル2(2011.3.11ー12.31)

1230日(金)晴れ

 ミッドナイト・プレスの新刊、高橋英司氏の『詩集 ネクタイ男とマネキン女』の紹介文を書いた後、机回りの片づけ、買い物。

 

 大晦日さだめなきよの定めかな(西鶴)


1229日(木)晴れ

 映画館で見ること(時間)はないだろう……と思っていたマーティン・スコセッシ監督の映画『ジョージ・ハリスン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』が吉祥寺で公開されていると知り、これは見なければと急遽思い立って、吉祥寺のバウスシアターに出かけた。11時にスタートした映画が終わったのは15分のインターミッションをはさんで1445分だった。秋に見た『ジョン・レノン, ニューヨーク』と併せて1970年前後の頃をあらためて考えさせるところもあり、思ったよりもディープな映画であった。様々な登場人物も印象深い。フィル・スペクター、パトリシア・ボイド、クラウス・フォアマン、アストリッド・キルヒヘル、オリヴィア・ハリスン、リンゴ・スター……。だが、いまはまだ、この映画について感想を書くことはできない。DVDを買うことはすでに決めた。

 

12月28日(水)晴れ

 昨日の午後は、高円寺は古本酒場コクテイルで開かれた、いりの舎の門出イヴェントに出かけた。会場の入り口で、いきなり桑原滝弥に迎えられ、それから福島県浪江町出身の歌人・三原由起子さん、玉城入野さん、そして神田京子さんとご挨拶する。三原さん、玉城さんと会うのははじめて。この8月に朝日夕刊で三原さんの「蛍を追って」という連作を読んだ感想をこのHPに書いたところ、それを読んでくれた三原さんからメールをいただいて以来のお付き合いである。このたびご主人の玉城入野さんと詩歌・文芸出版社いりの舎を立ち上げることになり、その門出イヴェントだった。ゲストとして招かれたのは桑原滝弥・神田京子のご夫婦。桑原滝弥とは久しぶりだったが、東日本大震災の被災地を回ってきた桑原の朗読&パフォーマンスはパワーアップしていて、神田京子さんの講談もさらに磨きがかかり、ふたりがこの半年で体験してきたものの密度が伝わってきた。ひと時代昔に戻ったかのようなコクテイルの二階の和室で聴くふたりの芸は、いりの舎のふたりの「いま」ともコラボレートし、久しく経験したことのない豊かな時間を味わうことができた。

 

  *

 

 いりの舎の最初の本として出版された佐藤祐禎さんの歌集『青白き光』を読んだ。佐藤祐禎さんは、原発のある福島県大熊町で農業を営んできた歌人である。佐藤さんの歌を読むのははじめてだが、農業という自分の仕事を通して自分の町が変貌していくさまを見る認識の力、そしてそれを歌に詠む批評精神は、貴重なもので、この歌集を門出の書として出版するいりの舎の姿勢、態度に、清新なものを覚えた。

 

  *

 

 以下、三原由起子さんの短歌を二首。

 

うつくしまふくしま唱えて震災の前に戻れる呪文があれば

突破する力がほしい 阻まれたふるさとへ続く道の途中に

 

 

12月19日(月)晴れ

 今年も10日余りを残すばかりとなった。一年が終わる……とは、とても云えない気分である。2011311日に始まった「終わりなき日常」が、死のその時まで、ずっと続いていくのであろうか。それでも、こうして大いなる時間の巡りに際して、非日常的な気分に誘われるのは、人間もまた自然だからだろうか。風邪がなかなか治らない。机の周りを眺めれば、相変わらず断片が散乱している。

 ピアノの音を受け入れやすい日とヴァイオリンの音を受け入れやすい日とがある。ピアノの打楽器的要素がその日々の違いをもたらすようであることはすぐに思い到るが、果たしてそれだけか。

 本棚からこぼれでてきた、モリエールの『孤客』(辰野隆訳・岩波文庫★)を読むともなく読み始め、「あの人は何処でも所謂精神家の錚々たるものとして通つてゐますね。而もあの熱烈な信仰は……」というセリフで立ち止まる。はて、「精神家」とは? 註がないので、自分で考えるしかないかと思いながら頁を繰っていると、いつのまにか読み終えていた。先日は、ひょんな流れから、吉村昭の『海も暮れきる』を読んだが、思わぬところからやってくる本を読む時間は、まさに非日常的で味わい深い。

 

(追記)上記の文章を書き終えたのは午前11時30分頃だった。その後、昼のニュースで、金正日死去を知る。

 

12月3日(土)雨

 

女を見連れの男を見て師走(虚子、昭和121211日)

 

 高浜虚子は、「ホトトギス」の冒頭に毎月欠かさず「句日記」を連載していたという。三段組みの「句日記」は数ページにわたることもあったとか。もとより、生涯に二十万句を詠んだといわれる虚子の多力によるものであろうが、それを可能ならしめた俳句という形式についてあらためて考えてみたくもなる。

 師走のことを「極月」ともいう。「年の極まる月」という意味のようだが、さて、201112月、なにか極まるものはあるのだろうか。3.11以後、なにかが変わった、という思いはある。ただ、それがなんであるのかいまなおわからないままに、極月3日を迎えている。

 マーティン・スコセッシ監督の「ジョージ・ハリスン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を見たいと思う。思うけれども、3時間半というこの映画を見る時間をつくりだすのはかんたんなことではない。たしか新宿でやっていたはずだが、いまチェックするともう終わっていて、有楽町でしか見ることができないようだ。たぶん、この映画を映画館で見ることはないだろう。

 

 人はみな独りで地心の上に立っている

 太陽のひとすじの光に貫かれ、

 そしてすぐに日が暮れる。

  (サルヴァトーレ・クァジーモド「そしてすぐに日が暮     れる」河島英昭訳)

2011年11月21日(月)晴れ

1119日のmidnight poetry lounge vol8には、雨のなかをおいでいただき、ありがとうございました。当日のレポートはいずれアップする予定です。

二年にわたり八回続けてきたmidnight poetry loungeですが、ここで一区切りとして、来年からは新しい企画を考えています。今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

2001年11月12日(土)晴れ

 またしても、長い一週間があった。先の一週間といい、今回のそれといい、いずれも迂生に覚醒を促しているのかもしれぬ。

 そして、たしかに、詩を意識的に読もうとしている。そこに届けられたのが、七月堂・木村栄治氏の編集による『秋元潔詩集成』である。これを最後の仕事として編集に努めた木村氏は、この詩集の完成を見ることなく、201049日、逝ってしまった。行年65歳。 秋元潔氏が泉下の人となったのは2008114日。行年70歳。二段組み、320ページの本を手に取り、まず木村氏が作成した年譜に目を通した。そして、秋元潔が書いた詩をこれからゆっくりと読んでいきたいと思った。この詩集がもつ重さを考えていきたい。それは、すなわち「詩とはなにか」を考えることだろう。

 

  *

 

 久しぶりにベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を聴く。それから、このところ、ENGLAND'S NEWEST HIT MAKERSと惹句されたザ・ローリング・ストーンズのUSファーストアルバムをよく聴いている。

 それにしても、EMIがソニーとユニバーサルに分割買収されるとの報道にはことばもない。

 

2011年11月7日(月)晴れ

 長い一週間が終わった。

 

 福間健二の詩集『青い家』は12のパートからなっている。パート1Aの扉には「書くことがなくても」ということばが記されている。その扉を繰ると、「青い家」という詩が目に飛び込んでくる。その第一連を書き写してみよう。

 

 書いてしまえばいいのに待ってしまう。

 なにかもっといい案が浮かぶのを

 ぎりぎりまで

 きのうも、待った。

 書くことがなくても書く。

 それしか手はないというのに

 夜、靴をなくしたまま歩いていた。

 

 ヴィルヘルム・ケムプが弾くベートーヴェンのピアノソナタ30番、31番、32番を聴きながら、その詩集からいくつかの詩を読んだ。

 それから、送られてきた「GATE21」13号を開くと、「ラブソングの聞こえなくなった街角で」という特集の扉に、「かりに現代詩が恋愛を不得手とするならば、それは『批評精神』を真髄とする現代詩と、『のめり込む』ことを真髄とする恋愛が相いれないからだろうか」と書かれていた。

 

 長い一週間が終わった。

 そして、気がつくと、僕は詩を読み始めていた。

〈お知らせ〉

 本日、430日に行われたmidnight poetry lounge vol. 瀬尾育生氏の「純粋言語論」のレポートをアップしました。貴重な思考のドキュメントをお読みいただければ幸いです。

 midnight poetry lounge vol.7 入沢康夫氏の「詩の後ろにあるもの」のレポートもいずれアップする予定です。

 midnight poetry lounge vol.8 山本かずこ「ほんとうの平将門」は1119日(土)です。(2011.10.29)

〈お知らせ〉

 本日、「詩の図書館」を更新しました。新しく収められたのは、川崎洋氏と辻征夫氏の初期詩篇です。(2011.10.9)

 

midnight poetry lounge vol.

「ほんとうの平将門」のご案内

 

 311から半年が過ぎました。みなさん、お変わりありませんでしょうか。

 midnight poetry lounge vol.8では、このたび『真・将門記』(ミッドナイト・プレス刊)を出版した山本かずこ氏を迎えて、「ほんとうの平将門」を知るひとときをもちたいと思います。平将門といえば、一般には、謀反を企てた「朝敵」といわれていますが、果たして平将門の「真」(まこと)とはなんであったのか。『将門記』を基にしながら、ひとりの武将、平将門の一生を辿ります。詩人である著者が、なぜ『真・将門記』を書くにいたったのか。その「真」(まこと)が語られます。

 この小説を読むと、平将門が生きた平安時代から明治維新を経て現在まで、日本を通底するものにあらためて思いをいたし、日本とはなにかを考える視座を与えられるように思います。歴史とはなにか。日本とはなにか。平将門の生涯を通して、いまを生きることについて、みなさんと考える機会となれば幸いです。(2011.10.3)

 

 

  記

日時 1119日(土)午後2時〜4時

会場 東京堂書店6階会議室(JR御茶ノ水駅徒歩8分)

出演 山本かずこ ゲスト/芹沢美保

会費 1500

問合せ・申込み 070-5579-1564

        poetrylounge2010@gmail.com

 

 

 

9月18日(日)晴れ

 9月某日、恵比寿なる東京都写真美術館ホールにて、映画「ジョン・レノン, ニューヨーク」を見た。

 恵比寿ガーデンプレイスなるところをはじめて訪ねたが、ここはかつてサッポロビールの恵比寿工場であったところではないか。かつて目黒に住んでいた頃、渋谷に向かう山手線の窓から、恵比寿工場のレンガ造りの引き込み線ホームが見えたことを思い出す。遠い昔のことだ。

 この映画は、ジョンとヨーコがアメリカに渡った19719月から、ジョンが殺された1980128日までの記録である。かつての目黒を忘れてしまったように、1971年当時のことはすっかり忘れてしまった。暗い時代であった。

 その時代のジョンの映画を、かつてのサッポロビール恵比寿工場跡地で見ることになるとは! 時間の魔法(?)といえばいいのだろうか。単純にして複雑な感情を胸に抱いて、福原義春氏が館長を務める東京都写真美術館のホールに向かった。

 19711210日の「テン・フォー・トゥー」コンサートなど、はじめて見るものが多く、ニューヨーク「に/を」生きるジョン・レノン(「僕はニューヨークに生まれるべきであった」)の映像は、彼が遺した音楽とあらためて向かい合うことの意味を語っていた。

 そこで思い出されたのが、「REMEMBER」という歌であった。これは、19701211日に発表された初のソロアルバム「JOHN LENNONPLASTIC ONO BAND」(邦題は「ジョンの魂」)に収められたものだが、時が経つにつれて、この歌が沁みるようになってきた。

 

 REMEMBER(思い出すんだ)

 

 思い出すんだ。きみが若かった頃を。

 英雄は捕まらずに

 いつも逃げ切っていたことを。

 思い出すんだ。

 あいつがきみのものを奪い取って

 いつもきみをがっかりさせていたことを。

 きみが気持ちを変えたかったら、

 昔のことをちゃらにしたかったら、

 思い出すんだ。今日、思い出すんだ。

 

 くよくよしても始まらない。

 過ぎたことは過ぎたことだ。

 思い悩んでもしょうがない。

 やっちまったことはやっちまったことだ。

 

 さあ、思い出すんだ。きみが小さかった頃を。

 みんな背が高くて、

 きりっとしていたことを。

 思い出すんだ。きみの母さん父さんを。

 映画スターになりたくて

 いつも いつも 芝居のまねをしていたことを。

 悲しかったら、

 世界がきみをヘンにさせるんだったら、

 思い出すんだ。今日、思い出すんだ。

 

 くよくよしても始まらない。

 過ぎたことは過ぎたことだ。

 思い悩んでもしょうがない。

 やっちまったことはやっちまったことだ。

 さあ、思い出すんだ。

 思い出すんだ。

 115日を。

 

 1970410日、ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明して、ビートルズは実質的に「解散」する。ジョンの衝撃は大きく、それから数ヵ月、アーサー・ヤノフ博士の下でプライマル療法を受けることになるが、「ジョンの魂」は、この療法を経て生まれた作品ともいえよう。この「REMEMBER」も、ある種の精神療法を想起させる歌だが、それだけでは語り尽くせないものを含意している。映画「ジョン・レノン, ニューヨーク」を見ながら、ボク「は/を」、ジョン「を/は」思い出していた。

 ちなみに、終わりに出てくる「思い出すんだ/115日を」は、アドリブによるマザーグースからの引用。後に、この引用でキマったとジョンは語っている。

9月12日(月)晴れ

 8月9日付の高知新聞で、山本かずこの新刊二点(『真・将門記』『日日草』)が紹介されたのに続いて、昨日、東京新聞読書欄の新刊コーナーで、『真・将門記』が紹介されました。手にとってお読みいただければ幸いです。なお、『日日草』は北冬舎刊です。

〈お知らせ〉

10月29日に予定されていたmidnight poetry lounge vol.8山本かずこ「平将門の『真』を伝える」は、会場の都合で11月19日(土)に変更となりました。どうぞよろしくお願いいたします。

8月29日(月)晴れ

 27日は、「詩を読む会」の第二回、斉藤茂吉の『赤光』。出席者は、浅野言朗、小林レント、倉田良成、中村剛彦、迂生の五名。茂吉の短歌をはじめとして、短歌をいろいろと読んでいると、新聞の夕刊に掲載される短歌にも興味が湧いてくるようだ。朝日の8月23日付夕刊に掲載された、福島県浪江町生まれの三原由起子という歌人の「蛍を追って」という連作十首中、「ふるさとを遠く離れて父母と闇を歩みぬ蛍を追って」という一首に斉藤茂吉を見出す。

 ところで、このところ、中也の詩を読み返している。

早春散歩  中原中也

空は晴れてても、建物には蔭があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹ででもあるやうに
ハンケチででもあるやうに
我等の心を引千切り
きれぎれにして風に散らせる

私はもう、まるで過去がなかつたかのやうに
少くとも通つてゐる人達の手前さうであるかの如くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のやうな眼眸〔まなざし〕をして、
確固たるものの如く、
また隙間風にも消え去るものの如く

さうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎へるものであることを
ゆるやかにも、茲〔ここ〕に春は立返つたのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思ふ、思ふことにも慣れきつて僕は思ふ……

8月8日(月)晴れ

中村剛彦の「甦る詩人たち」を更新しました。立原道造の「またある夜に」を読み解いて、ソネットの本質に迫る論考です。

7月31日(日)曇り

 昨日はmidnight poetry lounge vol.7、入沢康夫氏の「詩の後ろにあるもの」。東京堂書店に入る前に、いつものようにミロンガでバケット&スープを摂る。心配された雨も上がったようである。このmidnight poetry loungeは三カ月に一回、最終土曜日に開いているのだが、毎回なにかしら詩のイヴェントと重なってしまう。この日も、神保町の近くでは清水哲男氏の「増殖する俳句歳時記」の15周年記念会が、阿佐ヶ谷の葉月ホールハウスでは「伊藤比呂美を大いに語る」などが開かれる一日であった。ちなみに、その前日は迂生の誕生日。生まれ変わった気持ちで新しく生きようという730日でもあった。

 入沢康夫氏の話は実に深いもので、3.11以後を生きる、詩を書く者、詩を考える者にとって、考えるべきことを教えられた。詳細はいずれレポートしたいと考えているが——前回の瀬尾育生氏の会のレポートをまだ仕上げていないことを大いに反省しなければならないのだが——、一夜明けたいま、最近の迂生が考えていることに即して要約すれば、詩の主体とはなにか?ということに尽きるように思う。これについては、追々考えていきたい。

 終了後、ラドリオで二次会。講演後、詩を書く者に著作権はないと考えているが……という会場からの質問に答えて、入沢さんは、シャルル・トレネの「詩人の魂」を例に挙げて、そのシャンソンの詩を誰が書き、その曲を誰が書いたか、もはや誰も知らないが、歌は残っていると答えられていたが、ラドリオでは「サクランボの実る頃」などのシャンソンが流れてきた。入沢さんをお送りした後もしばしみなさんと歓談する。神戸から来て、これから神戸に帰るという方がいて驚く。

 入沢康夫さん、ありがとうございました。そしてご来場いただいたみなさん、ありがとうございました。よい一日を過ごすことができました。

 

  *

 

 なお、vol.8は、10月29日(土)山本かずこ「平将門の『真』を伝える」の予定です。

2011年7月28日(木)曇り

 大家正志さんの「現代詩季評」を更新しました。

2011年7月25日(月)曇り

 midnight poetry lounge vol.7が開かれる730日の一週間前の23日、同じく東京堂書店会議室で、入沢康夫氏と宇野邦一氏との対話「ハーン・出雲・そして詩の逆説」が開かれることを知り、出かけた。小泉八雲旧居のすぐ近くで生まれたという入沢さんが語る松江の話を聞いていると、松江を訪ねたいとの思いに強く駆られる。入沢さんの話を聴いて、「われわれの行為は、ことごとく、われわれの内部にある死者の行為ではないか?」というラフカディオ・ハーンのことばと、ハーンの「晩年の教え子から講義ノートを借りて読みふけつた」蒲原有明のことが、心に残った

 

 このところ、3.11関連の書籍をあれこれと読んでいる。そのなかの一冊、佐野眞一の『津波と原発』では、「東電OL殺人事件」について言及しているところが二カ所ほどあった。いずれもかんたんに読み過ごすことができないものであったが、それからしばらくして「東電OL殺人事件」で新しい動きがあったという記事が朝日新聞に掲載された。「誰がどんな話をするか、いまからでも眼に見える」ような疲労感、しかしそこからしか前に進むことができないことが現在地点であると了解すれば、自ずと行住坐臥の作法も定まってくるだろう。

2011年7月10日(日)晴れ

 

 暑く、かつirregularな日々が続いて、何事かを持続的に実行することがかなわない。数日前、「詩を読む会」のレポートをミッドナイト・プレスHPにアップしたが、これは中村剛彦が書いたもので、自分が書かなければならないmidnight poetry lounge vol.6のレポートはまだテープ起こしの途中にある。

 その日々のなか、山本かずこの『真・将門記』が無事に完成した御礼のご挨拶に回っている。できあがってすぐに向かったのは、大手町にある将門様の首塚から神田明神。続いて、北鎌倉のI氏夫妻を訪ね、昨日は霊山筑波山をお世話になったS夫人と訪ねた。筑波山神社にお詣りした後、ケーブルカーで標高871mの男体山に向かう。ケーブルカーを降りて、伊弉諾尊が祀られている山頂へと厳しい勾配の山道を登り始めると、全山を覆わんばかりに、うぐいすなどの鳥の声、せみなど虫の声、そしてかえるの声が啼き渡る。それは、われわれを迎えてくれる霊山筑波山にいますものたちの歓迎の声のようで、しばし足を止めて耳を傾けた。頂上から眺める関東平野の眺めも、古代さながらに絶景であった。回転展望台で生ビールを飲んで一服した後、S氏と我孫子で落ち合う。一度、熱中症になりかけた経験があるので、グラスビール一杯とグラスワイン二杯にとどめたが、大事な一日を終えた気分でS氏夫妻と別れ、帰途についた。

 昨日は、筑波山に向かう前に、設備点検のための業者入室、そして今日は昼前にエアコンの取り付け作業で業者入室が続いて、部屋の片づけに追われた。そして、これから、近くのガストで久しぶりにF氏と会うことに。

 

 いま、北杜夫の茂吉四部作を読んでいる。そこに描かれる斉藤茂吉の像も興味深いが、それを書く北杜夫のほうにより惹かれる。岩波新書の『マンボウ雑学記』という本は妙に印象に残る一冊だが、その誕生秘話など書かれていておもしろい。第三冊『茂吉彷徨』、そのⅡ章「『白桃』『暁紅』時代」では、「茂吉と永井ふさ子との運命めいた邂逅」が紹介されている。昭和九年九月十六日、向島百花園で開かれた子規三十三回忌歌会でふたりは邂逅する。このとき、斉藤茂吉五十二歳、永井ふさ子二十四歳。北杜夫はほとんどコメントを交えずに、茂吉がふさ子に書いた手紙の数々を書き写している。その最後の文章。「老境の茂吉にこれだけの情熱をひき起こさせた永井ふさ子は、生涯嫁ぐことなく、平成四年六月にこの世を去った。」

 

2011年7月8日(金)

詩を読む力をつけようと、有志で「詩を読む会」を始めた。その第一回のレポートをアップしました。

ミッドナイト・プレスの新刊のお知らせ

 

山本かずこの新著『真・将門記 桔梗一輪捧げ申し候』を刊行しました。平将門といえば、朝敵、逆賊というのが一般ですが、果たして、その真実はなんなのか? 著者は平将門の「真」(まこと)を伝えるべく、4年をかけて一篇の小説を書き上げました。この「真」の物語を、ひとりでも多くの人に読んでいただきたいと思います。読めば、世界が変わります。詳細は、「新刊のお知らせ」をごらんください。(2011.7.4)


 

midnight poetry lounge vol.7のお知らせ

 

 311日から4ヵ月が経とうとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 いま詩をどのように考えたらいいのだろうと、入沢康夫氏の『詩の構造についての覚え書』を本棚から取り出して読み始めたのは、2011年が明けてまもない頃でした。読み進むにつれて、いま詩について考えるべきことのひとつひとつが、ここに書かれていると確信を深めました。この「覚え書」が書かれたのは1966年ですから、いまから45年以上前ですが、ここで思考されていることがひとつも古びていないことに驚きました。「『詩とは、語を素材とする芸術ではなく、言葉関係自体を、いや、言葉関係自体と作者(または読者)との関係そのものさえをも素材とするといった体の芸術行為である』というところまで論を進めることもできると思う」というあたりを読んでいると、詩において、未踏の領域はいまなお残されているように思われてくるのでした。そして、「詩とは何か」と、「手もちの材料」をひとつひとつ確かめながら思考するその強度は、いま、なによりも必要なものではないかと考えました。いま入沢康夫氏は詩についてなにを考えられているのか。それをお伺いしたくて、midnight poetry loungeへのご出演をお願いしました。みなさんのご来場をお待ち申し上げます。

 

           ミッドナイト・プレス 岡田幸文

 

 記

midnight poetry lounge vol.7 入沢康夫「詩の後ろにあるもの」

出演 入沢康夫

日時 730日(土)午後2時 

会場 東京堂書店6階会議室(JR御茶ノ水駅8分) 

会費 1500円 

問合せ・申込み 電話070-5579-1564

poetrylounge2010@gmail.com(ミッドナイト・プレス、中村)

 

6月1日(水)曇り

 

 早、五月も終わりか。

 昨夜、帰りのクルマのなかで、ふと、「明るさは滅びの姿であろうか、人も家も暗いうちは滅びぬ」ということばが想起された。

 午前3時近く帰宅して、パソコンで、清水昶氏が亡くなったことを知る。享年70歳。ご冥福をお祈りします。

 

5月8日(日)晴れ

 今日は本を読んだ後、近くの図書館まで出かけた。五月の光のなかを歩いて、気持ちが少し晴れたようだ。先日うっかりミスで、二月に取り上げたアンドレ・シェニエの「悲歌」を消去してしまったことが気になっていたので、再掲することにした。

 

 悲歌  アンドレ・シェニエ(井上究一郎訳)

 

船出しよう、帆は張られ、ビザンティウムはぼくを呼ぶ。

ぼくは敗北者、逃亡者。時と長い航路だけが、

ぼくを解き放ってくれる、無情な女の軛から。

どう抑えても惹かれて行く女の顔、

どこにあっても目を奪う女の姿、

彼女がいるところ、彼女と会ったところ、

ぼくにつきまとうその名、すべてが、絶えまなく、

いまわしい油をそそぐ、ぼくを焼きつくす火に。

 

 ……………

 

ぼくの親しい自由よ、ぼくが受けとった唯一の財産よ、

遣っているうちはありがたくないお宝よ、

浪費するのはいともやさしく、ああ! たちまち後悔される。

ぼくの親しい自由よ、おまえはぼくを待つのか、かなたの岸で?

 

 

 アンドレ・シェニエ(1762-1794)は、フランス十八世紀随一の抒情詩人。フランス大革命動乱期に穏健派の詩人ジャーナリストとして、ロベスピエールの急進ジャコバン党に対立し、逮捕、処刑された。本文中の「……………」は、訳者の井上究一郎氏によれば、「詩人によって空白のまま残された」ものであるという。

 この後に、もう一篇「諷刺詩」という長い詩が訳されていて、そしてヴィクトール・ユゴーの詩へと続いていく、井上究一郎氏の訳詩集『シテールへの旅』の構成が味わい深いと書いたはずだが、先にも書いたように、先日、不手際で消去してしまった。

 井上究一郎氏は、ユゴーの詩を八篇訳しているが、「オランピオの悲しみ」「オムパレーの紡ぎ車」「セリゴ島」「眠っているボアズ」……いずれも驚嘆すべき詩篇であり、ユゴーについて、なにも知らないことを思い知らされるばかりである。ここでは、短かい詩を書き写してみたい。

 

 彼女は靴も履かず……  ヴィクトール・ユゴー(井上究一郎訳)

 

彼女は靴も履かず、帽子もかぶっていなかった。

裸足で腰をおろしていた、なびく藺草〔いぐさ〕のなかに。

通りかかった私は思った、妖精の姿を見たと。

私は問いかけた、「ねえ、野原へ出て行かないか?」

 

彼女は私を見つめた、至高のまなざしで、

われわれがどんなに勝ち誇るときも及ばない、あの美しい目で。

私はいった、「ねえ、いまは恋をする季節だ、

ねえ、深い木蔭に行かないか?」

 

彼女は足をぬぐった、岸の小草で。

彼女はもう一度私を見つめた。

それから考えこんだ、美しく、いたずらっぽく。

ああ! 森の奥で、なんと小鳥たちが歌っていたことか!

 

なんとやさしく、水が岸辺を愛撫していたか!

私は見た、丈なす緑の葦をかきわけて、

いそいそと、気もそぞろに、私のところにやってくる、美しい野性の娘を。

覆いかかる乱れ髪のなかで目が笑っていた。

 

 

 ユゴーは、1852年から70年まで、ジャージー島とガーンジ島で亡命時代を過ごしたが、この詩はジャージー島で書かれたものという。ユゴーは1802年生まれだから、50歳を越えた頃だろうか。

 「ボドレエル氏よ、君は芸術の天にたぐひなき凄惨の光を与へぬ。即ち未だ曾て無き一の戦慄を創成したり」(上田敏訳)というヴィクトール・ユゴーのことばをあらためて読むとき、詩の道は遠いと思うばかりである。

 

 430日、midnight poetry lounge vol.6瀬尾育生「純粋言語論」。その打ち合わせで瀬尾氏と会ったのは36日であったが、311以後を生きる(放り出された)現在、事は当初の主題に収まるはずもなく、瀬尾氏がなにを語るのか、重大なる関心をもって会場の東京堂書店会議室に向かった。

 瀬尾氏が語ったことを、乱暴を承知で要約すれば、事物の言語(存在の言語)が語りだしたいまを、これまでの言語(人間の言語)で捉えることはできないということだった。では、どうすればいいかと尋ねようとする者たちの声なき声に応えるかのように、瀬尾氏は、理念的、実践的かつ具体的に、いまを生きる方法について語り続けた。

 瀬尾氏がなにを語ったか、その詳細については後日レポートしたい。

 

  *

 

「詩の図書館」を更新しました。井上輝夫氏の『旅の薔薇窓』からの選詩抄です。(2011.5.2)


 

中村剛彦の「甦る詩人たち」を更新、36「「詩のかたち」について」をアップしました。(11.4.25)

2011年1月30日に行われたmidnight poetry lounge vol.5のレポートをアップしました。(11.4.19)

midnight poetry lounge vol.6のご案内

 

 東北地方を襲った地震は甚大な被害をもたらしていますが、みなさまにはお変わりありませんでしょうか。「われわれに語りかけるものは人間の言語ばかりではない。およそ何かをわれわれに伝えてくるものはそれ自身の言語をもつのである」とヴァルター・ベンヤミンは云っていますが、この地震もまたわれわれになにごとかを語りかける「言語」であるのかもしれません。それは、われわれの通常の意識、感覚では捉えることができないなにごとかを語りかけているようにも思われます。松尾芭蕉は「内をつねに勤めて、物に応ずれば、その心の色句と成る。内を勉めざるものは、成らざる故に、私意にかけてするなり」と云っていますが、この「物に応ずる」とはどういうことであるのか、あらためて考えたいと思うところです。

 midnight poetry lounge vol.6では、瀬尾育生氏をお迎えして、「純粋言語論」について語っていただきます。いま瀬尾さんが「言語」についてなにを語るのか。みなさんのご来場をお待ち申し上げます。

 

                                           ミッドナイト・プレス 岡田幸文

 

「重苦しい日々が続く中、短い時間ですが、上のテーマに限らず、皆さんとお話しできればと思います。お暇のある方、お立ち寄りください」(瀬尾育生) 

 

  記

 

midnight poetry lounge vol.6 瀬尾育生「純粋言語論」

日時 430日(土)午後2時 

会場 東京堂書店6階会議室(JR御茶ノ水駅8分) 

会費 1500円 

問合せ・申込み 電話070-5579-1564

        poetrylounge2010@gmail.com(ミッドナ          イト・プレス、中村)

 

midnight poetry lounge vol.7は、730日(土)、入沢康夫氏を予定しています。

〈お知らせ〉

「詩の相談室」を更新しました。

システムの変更に伴い、これまでの場所に掲載することができなくなりましたので、こちらにアップしました。また、この「詩の相談室」は今回をもちまして終了することにしました。これまでの記事については、HP上で閲覧できる形にいたします。これまでご愛読いただき、ありがとうございました。

4月4日(月)晴れ

 川沿いの桜のつぼみがふくらんできたのを見たとき、ウォルト・ディズニーのアニメーション映画「ファンタジア」で「春の祭典」が演奏されたシーンを思い出した。記憶はもとより定かではないが、生命の誕生がディオニュソス的に描かれていたのではないだろうか。

 島崎藤村の『春』を読み始めたのは二月の末だった。電車のなかなどで思い出したようにぱらぱらと繰っているので、なかなか終わらない。それでも、勝子(佐藤輔子)から「最後の別離の言葉」が書かれた手紙を受けとった岸本(藤村)が、翌日、下宿に友人(戸川秋骨)を訪ねると、そこに、青木操(石坂ミナ)から、「駿一(北村透谷)こと昨夜死去つかまつり候。」と記された葉書が届けられたあたりから、一気に読み進めていかなくては……という気分になる。この『春』を評することばはいくつか思い浮かぶが、北村透谷論として読むことができるのは、この小説の眼目のひとつであろう。青木(透谷)が結婚する前に操(ミナ)へ宛てた手紙の冒頭を書き写してみよう。「親愛なる貴嬢よ。生は筆の虫なり と言われまほしき 一奇癖の少年なり。生は筆を弄ぶことを以て人間最上の快楽なりと思考せり。然れども、時としては此快楽は言うに言われぬ不愉快を感ぜしむることもあり。そは他ならず、詩文を試みて意想を写す能わざるの時、書簡を認めて所見を述ぶること叶わぬ暁、精神鬱怏として殆ど人事を忘るるに至る如き、これなり。」……

311日に発生した東北地方太平洋沖地震により、

亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

被災されましたみなさまには心からお見舞い申し上げます。

 

            2011年3月15日  ミッドナイト・プレス